サタンは「敵対者」という意味であり、「悪魔」とも呼ばれています。サタンは神にはむかうことができないので、その代り、一人でも多くの神の子どもたちである私たちを欺くために日夜働いています。サタンの一番の策略とは何でしょう?それは私たちのマインドを欺くことです。私たちが嘘を吹き込まれ、そして、その嘘を信じたならそのように生きるからです。きょうは、サタンの欺きに気づき、欺きから解放され、真理のみことばに生きる術を学びたいと思います。
1.偽りの父
悪魔は「偽りの父」とも呼ばれています。律法学者とパリサイ人たちは、イエス様がご自分を遣わした方は、父なる神であると言っても信じませんでした。それで、このような辛辣なことばを彼らに向けました。ヨハネ8:44「あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。」このところに、悪魔の特徴がいくつか述べられています。悪魔は人殺しである。悪魔は真理に立っていない。彼のうちには真理がない。悪魔は偽り者、また偽りの父であるということです。英語の聖書には、悪魔はliar「嘘つき」と書かれています。悪魔の常套手段は、私たちの思いに嘘、偽りをばらまくことによって、私たちを欺き、拘束するということです。マインド・コントールということばを聞きたことがあると思いますが、悪魔はまさしく私たちのマインド(思い)を欺くことによってコントロールするのです。サタンの手口が弟子のユダを通して良く分かります。
ヨハネ13:2「夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた。」と書かれています。ここには「心」と書かれていますが、「思い」と捉えても結構だと思います。この箇所は最後の晩餐のときですから、その前から、イエス様を裏切るという思いがあったということです。ルカはこのように書いています。ルカ22:3-6「ところで、十二人の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。ユダは行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡すか相談した。彼らは喜んで、ユダに金を与える約束をした。ユダは承知し、群衆がいないときにイエスを彼らに引き渡そうと機会を狙っていた。」過ぎ越しの祭りが近づいていた頃でありますから、最後の晩餐の数日前ということになります。ユダはイエス様がイスラエルを救うメシヤなのか疑っていました。それは他の弟子たちも同じでした。しかし、悪魔がイエス様を裏切る思いをユダに入れ、ユダがそのことを決断したと考えるべきです。「ユダにサタンが入った」というのは、ユダの意思を完全にコントロールしたということです。 使徒5章にはアナニアとサッピラのことが書かれています。二人は自分たちの土地を売り、一部の代金を残して、全部ささげたようなふりをしました。ペテロは「アナニア。なぜあなたはサタンに心を奪われて聖霊を欺いたのか」と責めました。「奪われて」というギリシャ語は、「満たす、満たされる」という意味のことばです。つまり、二人の心がサタンの思いに満たされた、つまり「要塞が築かれた」ということです。
このように考えますと、サタン、あるいは悪魔は、私たちの心に悪い考えや思いを入れよう働いていることが分かります。ジョイス・マイヤーが『思考という名の戦場』という本を書いています。その本の中に、「私たちが今どのような状況に置かれているのか」6つのことを書いています。第一、私たちは戦いの場にいる。第二、私たちの敵はサタンである。第三、思考が戦いの場である。第四、悪魔は私たちの思考の中に要塞を築こうと、日夜活動を続けている。第五、その手段は、周到に練られた計画と巧妙な罠を用いて戦略的に私たちを欺き、騙すことである。第六、悪魔は急がず、じっくりと構えている、自分の計画を実現に至らせるためなら、たっぷりと時間をかけることもいとわない。ジョイス・マイヤーは一組の夫婦を例にあげています。妻のメアリーと夫のジョンの結婚生活はうまくいっていません。二人の間には、絶えず争いがありました。メアリーの問題は、夫のジョンを家長の座に座らせることができないということです。メアリーが子どものときです。父親は非常に支配的であり、自分の機嫌が悪いと言うだけで、彼女をぶつことも多々ありました。サタンは彼女に「男なんて威張っているだけよ。信用してはだめ。結局はあなたを傷つけ、あなたを利用するだけだから」と繰り返し、嘘をささやきました。10年以上ものあいだ、彼女の思考に戦いを仕掛けたので、男性に対する不信感の要塞ができました。一方、夫のジョンは、真正面から問題にぶつかるのが嫌なタイプで、できれば責任を回避したいと思っています。彼の母親は支配的な性格で、ジョンが幼いとき、言葉の虐待を受けていました。「ジョン、お前はなんてダメな子なの。将来ろくでもない人間になるわね」と平気で彼の心を傷つけていました。ジョンは、なんとかして母親に認められようと、一生懸命やればやるほど、なぜか失敗するのです。悪魔は巧妙に働きかけ、ジョンの思考に要塞を築き上げました。「お前が何を考えているか、人に言ってもどうせ無駄なことさ。だれも聞きやしない。もし人に受け入れてほしかったなら、とにかく人と合わせることだ」。
ジョイス・マイヤーは「この夫婦の物語を通して、敵であるサタンがどのように状況をセッティングして要塞を築き上げようとしているのか、目が開かれたでしょうか?」と言っています。箴言23:7「なぜなら、彼は、心の中で考える通りの人間であるからだ」とあります。「心の中で考える」とは、マインドの中で考えることであり、思考がいかに重要であるかということが分かります。なぜなら、思考によってあらゆる行動が生まれるからです。そういう意味では、思考は行動に先んじるものであると言えます。サタンは嘘、偽りを火矢のように放って、私たちの思考を攻撃しています。そうすると、偽りを信じるようになり、それが要塞となります。要塞とは間違った思考パターンです。その結果、その人はサタンが願う、破滅的な人生を送ることになります。もし、あなたがサタンに欺かれているなら、真理のみことばを学び、造られた要塞を打ち砕き、聖霊に導かれる健康的な神の子としての生活を取り戻す必要があります。
2.サタンの欺き
第二のポイントでは、サタンが具体的に私たちをどのように欺くのか、学びたいと思います。フランク・ハモンドと言う人が『拒絶を克服する』という本を書いています。彼の本の後半に「拒絶からくる自己欺瞞」ということが詳しく書かれていました。敵は嘘つきであり、欺きは敵の手口です。今日、世界には非常に多くの欺瞞があります。人々の人生の中で欺瞞がどのような形で現れるのか、先生がこの本で詳しく述べています。原書では「自己欺瞞」は、self-deceptionとなっています。Deceptionは、「欺くこと、惑わし、ごまかし、欺瞞」という日本語になります。サタンによる欺きの結果、自分自身を欺いてしまうということです。「欺き」あるいは「欺瞞」は、クリスチャンになっても依然と存在しています。クリスチャンであっても欺かれている人が多いということです。自己欺瞞とは、自分自身に関する誤った思い込みと定義できます。これは、拒絶されたことによる傷の反動です。自分に対する欺きを4つ取り上げたいと思います。
①プライド
拒絶されると自己欺瞞的なプライドが生じます。拒絶されたときの最も一般的な反応は、自分を拒絶する人に反発することです。反抗するということは、他人を軽視したり、不名誉に思ったり、憎んだりすることです。人が反抗的になると、たとえ正当な権威であっても、その権威に屈することを拒みます。では、誰がその人の人生を監視するのでしょうか?彼は自分自身の権威となるのです。彼は、「どんな権威も私に何をすべきか教えてはくれない。私は自分の好きなようにする。自分がベストだと思うことをする」と決めます。拒絶されると人生に空虚感が生まれ、受け入れてもらいたいという欲求が生じるため、自分に同意する人を受け入れ、自分に同意しない人を拒絶したいという誘惑に駆られます。もし、だれかが「それは間違っている」と注意でもするなら、その人は脅威を感じ、怒りを爆発させます。自分が大切だと感じられるもの、安心できるものは誰にも奪われないと決心します。そのため、自分の偽りを諦めるよりも、迫害を受ける方がましだと考えるようになります。高慢は、自己欺瞞に付随する霊です。プライドの高い人は、優越感と劣等感の両極端の間で揺れ動いていることに気づくかもしれません。傲慢な人に不安がつきまとうのは、人前での失敗に対する圧倒的な恐怖が心の奥底に潜んでいるからです。聖書は、自分を高く評価することを戒めています。プライドが高い人によく見られる症状として、「私」にこだわることがあります。「私が一番よく知っている」「私に同意するか、結果に苦しむか」「私が思うに、あなたがすべきことを教えてあげよう(ついでに言えば、いつも私のやり方でやって)」。アドバイスをしたいという気持ちが強迫観念になってしまうのです。それはその人の意識や会話の中で最も重要なことです。これは神の助言ではなく、支配する悪魔の助言のやり方です。
②妄想
ギリシャ語で一般に「妄想」を意味する言葉は、「さまよう、道を踏み外す」です。新約聖書で使われているこの言葉は、常に精神的な迷い、意見の誤り、道徳や教義の誤りを表しています。パウロのテサロニケ人への第二の手紙では、反キリストは、世の人々を真理から遠ざけ、妄想に導く者として具体的に述べられています。Ⅱテサロニケ2:9-11「不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を、愛をもって受け入れなかったからです。それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。」このところに、「惑わす力」とありますが、原文は「虚偽、嘘」です。英語の聖書はdelusionであり、「欺くこと、惑わすこと、錯覚」となっています。離婚は大変な悲劇ですが、それに加えて、一方の当事者が誤った希望にしがみついているという妄想もあります。離婚後、元配偶者が再婚している例もあります。しかし、離婚によって拒絶された人は、元の結婚生活が回復すると信じています。この希望はしばしば誤ったものであり、妄想として機能します。ある人は、自分に力があると錯覚しています。ハモンド先生ご夫妻は、自分が神だと思っている人に奉仕したことがあるそうです。ある男性は、先生が教えている最中に、「私はイエスだ!」と叫んで礼拝を中断させました。その場にいた人たちは、すぐに彼が騙されていることに気づきました。また、ある男性は、自分には原子爆弾を爆発させることができる特別な精神力があると信じていました。このような苦悩と恐怖の悪霊から解放されて、彼は大いに安堵し、喜びました。彼はその恐ろしい精神的重荷から解放され、とても感謝していました。
③誘惑
これは、自分が誘惑されることです。男性や女性といった他の人に誘惑されることもあれば、自分自身に関する道徳的な誤りや教義上の誤りによって誘惑されることもあります。自分を誘惑するプロセスは、神の言葉以外の考えやその他の誘惑に翻弄されながら、通常、徐々に進んでいきます。ヤコブ1:14-15「人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」人にはそれぞれ、霊的、感情的、肉体的な必要性があります。神様は、これらの必要性を満たす方法を用意されています。例えば、性的欲求は、結婚生活の中で満たされるように定められています。結婚していない状態でのセックスに関連するものは、私たちの魂にダメージを与え、悪魔の抑圧への扉を開くことになります。胃の欲求は、健康的な食べ物を穏やかに食べることで満たされるべきです。ジャンクフードを食べると不健康になり、病気になることもあります。食べ過ぎたり、少なすぎたりすることは、場合によっては束縛や抑圧の兆候でもあります。悪魔は常に極端な行動をとります。ハモンド先生は、薬物、アルコール、姦淫に縛られていたある若者を知っています。何ヶ月にもわたって熱心に教え、助言し、解放した後、彼は自由になりました。主は彼に良い仕事を与えてくださいました。仲間のクリスチャンたちからも愛され、彼の将来は明るいものになりました。勝利の中で、彼は牧師に「この世のやり方に戻り、以前のような罪の生活を続けることを決意した」と発表しました。誰も彼に影響を与えることができませんでした。彼の困り果てている状態は、神の言葉の中に描かれています。Ⅱペテロ2:20-22「あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、みな真理を知っています。私がこのように書いてきたのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知っているからです。また、偽りはすべて、真理から出ていないからです。偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否定する者、それが反キリストです。」
④自己欺瞞
自己欺瞞は拒絶に根ざしており、拒絶とは愛の欠如から生じる状態です。愛の象徴となるべき場所があるとすれば、それは主イエスを信じる者たちの真の交わりです。聖霊の実を結んで機能している健全な教会は、主イエスの愛を直接反映した鏡のようなものでなければなりません。ですから、愛の欠如によって生じるさまざまな状況に対処できるようになっていなければなりません。しかし、実際の教会では、助けを必要としている人々が、「異質なもの、奇妙なもの、見当違いなもの」と見なされて、拒絶されたり、突き放されたりすることがあります。その結果、歓迎されなくなってしまったのです。そうなると、傷ついた心は、今度は教会から拒絶されることになります。キリストの体なる教会には、神の導きの問題で欺かれている人たちがいます。主イエスを信じている私たちは皆、イエスの助言を必要としています。私たちは、自分の内側で神の小さな声を聞く必要があります。私たちの慰め主である聖霊の存在を感じる必要があるのです。しかし、私たちが聖霊の助言に心を開くようになると、悪しき霊たちの標的にもなります。それは、深夜になるとラジオに外国からの放送が入ってくるのと同じです。誠実な信者にとって、知らず知らずのうちに神からのものではないものに心を奪われていくのは悲劇的です。クリスチャンの内なる助言には、さまざまなものがあります。第一は、私たちの肉や心から来るものがあります。第二は、聖霊によって私たちの心に語りかけてくる神の内なる声があります。第三は、すべての信者は、悪魔から来る嘘や惑わしに警戒しなければなりません。これらは、悪魔の助言と考えることができます。聖書には、初代教会の時代に悪魔の教義があったことが記されています。Ⅰテモテ4:1「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。」
3.欺きからの解放
欺きからの解放の第一条件は、「他者から教えてもらう」ことです。牧師やカウンセラーは霊的な医師であり、人の内面の癒しを求めるカウンセラーです。解放を希望する人は、自分の状態がどうなのか提出しなければなりません。そして、牧師は上からの知恵と理解を求めます。彼はその人を完全な状態に戻すために必要なものを処方します。一般の人は、自分の病気を正確に診断することができません。根本的な問題ではなく、表面的な問題を見る傾向があります。イエス様は、兄弟の目の中のチリを調べている間に、自分の目の中の梁を取り除くのは簡単ではないと言われました。奉仕のためにカウンセラーのところに行くとき、その人はカウンセラーに服従し、指示されたことに協力しなければなりませんが、それは聖書の正しい先例に基づいている限りにおいてです。聖霊の存在が鍵となります。解放を求める人はまず、福音書の中で主イエスがどのようにして解放を行ったかを理解しなければなりません。矯正は拒絶ではないということを理解しなければなりません。教えられるかどうかは、その人の意志にかかっています。その人は与えられた助言に従うことに同意しなければなりません。自分の考えに同意してくれるカウンセラーを探そうと、カウンセラーの間を走り回っていては達成できません。その人は謙虚に認めなければなりません、「問題は私の中にあります。私は変わらなければなりません。」と謙虚に認めなければなりません。日本においては、一般のカウンセラーは創造主なる神も聖霊も信じていないので、困難なところがあります。クリスチャンのカウンセラーにお願いしても3か月待ちということもあるようです。解放を受ける人は、牧師の実力がどうであれ、聖書の価値観と聖霊の導きを土台とする意見を聞く必要があります。なぜなら、欺かれている人は、自分のことを正しく見ることができないからです。キリスト教会に教役者や兄弟姉妹がいるのはそのためです。
第二の条件は「真理のみことばに自分を捧げる」ということです。イエス様ご自身も悪魔の誘惑に対して、自分の考えではなく、神のみことばによって勝利しました。悪魔は「もし…なら」とか「神は本当に言われたのですか」と神のことばに疑いをかけます。欺かれている人の必要は、神のことばに立ち返るしか解決はありません。Ⅱコリント10:4-5「私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。」このみことばは、私たちのマインドの中にあるものと、神のマインドの中にあるものを明確に区別するためには、神のみことばを深く知らなければならないと教えています。何であれ、神のみことばよりも自分を高めようとする理論に対しては、これを打ち砕き、虜にして、イエス・キリストに従わせなければなりません。ジョイス・マイヤーはご自身の本でこう述べています。「思考はまさに戦いの場です。自分の思いが神の思いと一致することが、何よりも重要なことなのです。しかし、そんなに簡単にはいきません。時間がかかります。まず何よりも神のみことばをしっかり学ぶことです。だから決してあきらめないように。なぜなら、たとえ少しずつであっても、あなたは確実に変化し続けているからです。あなたの考え方が良い方へと変われば、それだけあなたの人生も良い方へと変化するのです。」イエス様は「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)と言われました。悪魔との戦いは、言い換えるなら真理の戦いなのです。私たちは神のみことばから真理を知るなら、真理が私たちを自由にするのです。真理のみことばに自分を捧げる人には、聖霊が解放に至るまで、どこまでもバックアップしてくださいます。