このところには、パウロのエペソ教会に対する祈りが記されています。「知恵と啓示の御霊が与えられること」が最も重要なことであり、最優先に求めることだということです。これは、私たちが住む現代社会にも言えることです。現代は情報が洪水のように流れ、人々はその情報に押し流されて生きています。その結果、この世における恐れと混乱によって思いと心が麻痺しています。夜は、お酒やテレビのお笑い番組、趣味や楽しみに逃げ込むしかありません。目覚めると、ローンや仕事に追われ、十人に一人は、うつと闘いながら生きのびる生活をしています。私たちにとって、何が最も大切なことなのでしょうか?
1.知恵と啓示の御霊とは
私たちはどれくらい聖霊が下さる知恵と啓示が必要なのかご存じでしょうか?旧約聖書には、神からの知恵と啓示が与えられて、世界を治めた人たちがたくさん記るされています。ヨセフは兄弟たちからねたみを買い、エジプトに奴隷として売り飛ばされました。最初は主人から重んじられましたが、濡れ衣を着せられ監獄に入れられました。奴隷生活13年後、エジプトのファラオが不思議な夢を見ました。エジプトのすべての呪法師とすべての知恵ある者たちを呼び寄せましたが、その夢を解き明かす者はいませんでした。そのとき、牢から救われたことのある長官がヨセフのことを思い出しました。ヨセフがファラオの前に出て、その夢を解き明かしました。「7年の大豊作の後、7年の大飢饉が訪れて飢饉で滅びてしまう。だから、これからの豊作の年の穀物を蓄えるように」と進言しました。ファラオは何と言ったでしょうか?「神がこれらすべてのことをお前に知らせたからには、お前のように、さとくて知恵のある者は、他にはいない。お前が私の家を治めるがよい」(創世記41:38,39)と言いました。当時のエジプトは世界で最も栄え、最も学問の進んだ国でありました。なのに、一塊の奴隷がエジプトのナンバー2になり、エジプト全土を支配する者となりました。それは「神の霊がすべてのことを知らされた」つまり、啓示のゆえです。神の霊がヨセフに知恵と啓示を与えたからそうなったのです。
次の人物はダニエルです。バビロンがエルサレムを攻撃し、ユダの人たちを何度か分けて捕えて行きました。ダニエルと三人の若者たちはその初期の人たちです。彼らは宮廷で仕えることがきるよう訓練を受けました。ある時、バビロンの王ネブカドネツァルが不思議な夢を見ました。そこで王は命令を出し、呪法師、呪文師、呪術者、カルデア人を呼んで、その夢の意味を告げるように命じました。本来なら、自分が見た夢を告げてから、その意味を示してもらうべきですが、王は自分が見た夢とその意味を示すように命じました。「それは無理です」と知者たちは口ぐちに言いました。王は「彼らは偽りと欺きを述べるだろう」と信用していなかったのです。そのとき、ダニエルが呼び出され、神さまに願い求めると、夜のうちにその秘密がダニエルに明らかにされました。ダニエルは「神は、深遠なこと、隠されていることを明らかにし、闇の中に何があるかを知り、ご自分の内に光を宿される」と賛美しました。ダニエルは王が見た夢とその意味を王の前に示しました。ダニエル2:47,48王はダニエルに答えた。「あなたがこの秘密を明らかにすることができたからには、あなたがたの神こそ、神々の中の神、王たちの主、また秘密を明らかにする方であるに違いない。」そこで王は、ダニエルを高い位に就けて、多くのすばらしい贈り物を与え、バビロン全州を治めさせて、バビロンのすべての知者たちをつかさどる長官とした。この後、ダニエルはさらに3人の王様に仕えることになります。天の神が、ダニエルに隠されている秘密を明らかにしました。それは、まさしく啓示であります。
次の人物はソロモンです。ソロモンはイスラエルの黄金期を作った王として有名です。彼がダビデの後に王になるのですが、そのとき、神さまが夢の中で「あなたに何を与えようか願え」と彼に問われました。ソロモンは「善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。」と願いました。神さまは彼が自分の長寿や敵のいのちを願わず、正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、願わなかった富も誉れも与えました。ソロモンは神さまからすぐれた知恵と判断力が与えられて、裁判、交易、建築、あらゆることに成功を収めました。ソロモンが書いたとされる「伝道者の書」で彼がこう述べています。伝道者2:9,10「こうして私は偉大な者となった。私より前にエルサレムにいただれよりも。しかも、私の知恵は私のうちにとどまった。自分の目の欲するものは何も拒まず、心の赴くままに、あらゆることを楽しんだ。実に私の心はどんな労苦も楽しんだ。」ソロモンは晩年、神さまから離れてしまいましたが、イエス様は「ソロモンの栄華」と評価しました。神からの知恵がソロモンに与えられ、イスラエルを栄えさせたのです。
最後はイエス・キリストです。福音書を見ると、イエス様には「知恵と啓示の御霊」が与えられてたことが分かります。もちろん、イエス様ご自身はロゴスであられ、すべてをご存じでしたが、地上におられた時はあえて、父の御霊により頼みました。パリサイ人や律法学者、サドカイ人らがイエス様を陥れるために何度も難問をふっかけました。ある時、「カエサルに税金を納めることは律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか?」という質問を受けました。「納めろ」と言えば、イスラエルがローマの属国であることを認めることになります。「納めなくて良い」と答えるなら、カエサルに背く者として訴えられるでしょう。イエス様は税として収める銀貨を持ってこさせてこう言いました。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」。彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエス様を残して立ち去りました。その次に、サドカイ人たちが「7人の兄弟と結婚した未亡人が、天国ではだれの妻になるのですか?」と聞きました。イエス様は「復活の時には人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いのようです」と答えました。群衆はこれを聞いて驚嘆しました。イエス様は、突然、難問をふっかけられても即座に応えることができました。それは、人にはない神からの知恵があったからだと思います。ヨセフ、ダニエル、ソロモン、そしてイエス・キリストをあげました。聖書では、神からの知恵と啓示がとても重んじられていることがわかります。知恵と啓示は現代の私たちも必要なものではないでしょうか?
2.知恵と啓示の御霊を得るには
パウロは「神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように」と祈っています。なぜなら、それを神からいただくことが何よりも重要だからです。残念ながら、生まれつきの人間はそのようなものには全く価値を起きません。それよりも自分の知識や経験により頼みます。なぜなら、最初の人間アダムが、取ってはならない木から食べたとき、霊が死んで、魂が異常に発達したからです。アダム以来の人間は霊が死んでおり、もっぱら自分の魂で考え行動します。パウロは「かえってその思いは空しくなり、その鈍い心は暗くなったのです」(ローマ1:21)と言いました。神さまから知恵と啓示をいただくためには、キリストを信じて霊的に生まれ変わる必要があります。イエス様のところを訪ねてきたニコデモは、「あなたはイスラエルの教師なのに、そのことが分からないのですか」(ヨハネ3:10)と言われました。ですから、どんなに学問があり、どんなに人間的に立派であったとしても、新しく生まれなければ、神の国を見ることができないのです。霊が新たに生まれると、神さまと交わりを持つことができ、そのとき聖霊が私たちの霊に神の奥義を示してくださいます。パウロは奥義ということばをエペソ人への手紙で5回用いています。エペソ3:3「奥義が啓示によって私に知らされました」と述べています。
キリスト教は啓示の宗教です。私たちが考えたものではなく、天から啓示されたものです。「啓示する」はギリシャ語でアポカリュプトウと言って、「覆いを取り除く、開示する」という意味です。英語ではrevelation 「ベールを上げる」と言います。私たちの限られた知性では、神さまと神さまに関することは分かりません。そのため、神さまの方から、隠されていることがらを露わにしてくださるということです。神学者のヘンリー・シーセンがこう言いました。「パスカルは神を隠れた神として語った。けれども彼はまた、この隠れた神がご自身を啓示され、それゆえ、われわれが知ることのできる方であるとも主張した。これは全く正しい。確かに、もし神がご自身を啓示されなかったなら、われわれは決して神を知ることはできない。」アーメン。箴言25:2「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王たちの誉れ」と書いてあります。神さまは私たちに隠しておられるのは、神さまが意地悪だからではありません。本心は見つけ出してもらいたいのです。エレミヤ33:3「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。」と書いてあります。つまり、私たちは神さまの御名を呼び、「どうかお教え下さい」とへり下って求める必要があります。昔、CSのイースターでは、卵をいろんなところに隠しました。子どもたちに発見する喜びを与えたいからです。教師たちはいろいろ考えます。「幼稚科クラスはこういうところ、小学生はこういうところ、ジュニアはこういうところ」という風に、難度を上げて行きます。ジュニアに対して、幼稚科クラスと同じようにしたら「つまらない」と言われるでしょう。神さまも、その人に応じて、難度を上げるかもしれませんが、本心は、見つけ出してもらいたいのです。そして、共に喜びたいのです。
私は「神を知るための知恵と啓示の御霊」が与えられることを知って本当に喜びました。日本には、私よりもはるかに知的で博士号までとっている牧師や神学者がたくさんいます。私は留学もしていないので、そこそこの勉強しかしていません。でも、私のような者にもチャンスがあります。むしろ、学問のない人の方が有利なのかもしれません。イエス様はこのようにおっしゃいました。マタイ11:25「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。」アーメン。神からの知恵や啓示は、知恵ある者や賢い者には隠されており、幼子たちに現してくださるからです。私は幼子のようにシンプルなので、神さまは理解を超えた大いなることを示してくださるのです。大川先生は知恵の賜物がある牧師であると思います。数多くの書物を読み、そこから説教に使えるものだけを一瞬に抽出することができます。また、他の人が話したことを何倍も効果的に、感動的に話すことができます。私は大川牧師から何度も按手の祈りを受けました。そのとき、「どこの注解書にも載っていないようなメッセージを語ることができるように」と度々祈って下さいました。だから、この私も、大変、おこがましいですが「知恵の賜物」があると信じます。知識はあまりありませんが、聖霊が知恵を与えてくださいます。主の前にへりくだって祈り求めると、ぱーっと、深い真理が現れてきます。これは説教者としての醍醐味です。あとから、メッセージを練習すると、「なぜ、どうして、こんなメッセージが生まれたんだ、私のものではないなー」と私自身が驚きます。
アメリカで仕事をしておられた姉妹からお手紙を頂戴したことがあります。この姉妹はホームページから説教原稿をご覧になっている方でした。「毎週、心から感謝して聖日礼拝のメッセージをいただいております。PHDなどの学歴を持っていても霊的な知識に欠けている先生方などもおられるのに、鈴木先生のメッセージは知恵も知識も、霊的にもレベルがきわめて高く、恵みとしか言いようがありません。外国に今は住んでおりますので、多くの教会;福音派、長老、ホーリネスなど、良きメッセージを音声などで与えられますが、この『いのちのことば』は一つのベストとしか表しようがありません。感謝いたします。」今は、亀有教会のホームページの中に礼拝説教が組み込まれていますが、ご覧になっておられる方がおられて大変励まされました。
詩篇119:130口語訳「み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。」無学で結構と開き直りたいところですが、聖霊がみことばを悟らせてくださるということです。使徒4:13「彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。また、二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。」これはパリサイ人や律法学者たちから向けられたことばですが、「無学な普通の人」とは「律法を専門に学んだことがない素人」という意味です。神さまは私たちに聖霊様を送ってくださり、人々には隠されていることがらを教えてくさださるのです。「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように」アーメン。
3.知恵と啓示の御霊の目的
パウロは「知恵と啓示の御霊が与えられるように」と祈っていますが、その目的とは何なのでしょう?私たちは何のために聖霊によって、特別な知恵と啓示をいただく必要があるのでしょうか?17節前後を読みますと、その目的が何なのか分かって来ます。
第一は、神さまのことが分かるためです。この直前に「神を知るための知恵と啓示」と書かれています。私たちは聖霊によって知恵と啓示が与えられなければ、神さまのことが分からないということです。啓示の意味は前のポイントでお話ししました。啓示とは、隠されていることが露わにされるという意味です。つまり、啓示とは、神がご自身をあらわし、真理を人間の知性に伝達する行為だということです。なぜなら、生まれつきの私たちは霊的に盲目であり、自らの知恵や知性では神さまのことが分からないからです。だから、向こうが現してくださらなければ、ダメなんです。私たちは捜し求める必要があります。でも、だれにでも神さまがご自身を現してくださるのかというとそうでもないようです。イエス様はマタイ11章で「子と、子が父を現わそうと心に定めた者のほかに、父を知っている者はだれもいません」と言われました。さらに、種まきのたとえでは「あなたがたには天の奥義を知ることが許されていますが、あの人たちには許されていません」(マタイ13:11)とも言われました。だから、パウロは神さまにエペソの人たちに「神を知るための知恵と啓示の御霊が与えられるように」ととりなしているのです。そのように考えますと、私たちが神さまを知り、イエス様を知り得たことは神さまの一方的な恵みであるとしか思えません。私たちは他の人たちに伝道するとき、「どうして分かってくれないのだろうか?」嫌になったことがあるでしょう。しかも、厄介なことに悪魔がそのことを妨げているのです。Ⅱコリント4:4,6「彼らの場合は、この世の神が、信じない者たちの思いを暗くし、神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音の光を、輝かせないようにしているのです。…神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。」アーメン。私たちが神さまを知ることができたのは、神さまご自身が私たちの心を照らしてくださったからです。アーメン、感謝します。
第二は、栄光に富んだ望みが分かるためです。パウロは「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか」と言っています。私たちは復活後、御国の相続者として永遠にそこに住むことができます。聖歌642に「ヨルダンのかなた」という賛美があります。「ヨルダンのかなたに広がれるは、げにわがゆずりのカナンの地なり、心はおどるよー、心はおどるよ、カナンの地おもうだにわがむねおどるよ」。カナンとは天国のことです。作者はそれを思うと、「こころがおどる」と歌っています。ブラックゴスペルには、「輝く黄金の道を歩く」というような歌詞があります。世の人たちには絵空事のように思えるでしょう。ところが、聖霊によって心の目が開かれると、心がおどり、天のエルサレムをあこがれるようになるのです。アーメン。
第三は、神の力がどれだけ偉大か分かるためです。パウロは「私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように」と願っています。神さまの力はだれにでも現れるのではありません。キリストによって救われた人たちに対して、大能の神さまの力が現れて下さるのです。この世の人たちの中でも神さまの存在を信じている人たちがいます。でも、彼らの神さまは天におられても、この地上のことには全く関知しない神さまです。「天は自ら助くるものを助く」というのは、self-help自助論であり、私たちの信仰と異なるものです。私たちは一生懸命自分の力でやってから、神さまに祈るのではありません。小さなことから、大きなことまで、祈ってから、神さまと共に成し遂げるのです。なぜなら、天地を造られた神さまは、私たちの父であり、「人にはできないが神にはできる」というお方です。パウロは「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません」(Ⅱコリント4:8)と逆転勝利を語っています。
私たちは神さまも聖霊も見ることはできません。そのため、この世の人たちは信じようともせず、求めようともしません。私もかつて、「神さまがいるなら見せてくれ、そうしたら信じる」と言いました。真実は、見たら信じる必要はありません。見えないから信じる必要があるのです。私は25歳のとき、日曜日の午後9時間も伝道されて、根負けして「じゃ、信じるよ」と言いました。その時、導いてくれた先輩は、「もし、信じても神がいなかったなら、失うものはないじゃないか。神さまがいるかいないか、賭けてみないか?」と言いました。私は思い切って信じる方に賭けてみました。そうしたら、神さまがおられることが分かりました。友達は「鈴木はキリスト教にかぶれてしまった」と笑いました。あれから40年以上たちましたが、神さまを信じたことによる実が数えきれないほど現れています。罪に汚れた生活をしていたのに、今では神さまのすばらしさを語っています。機能不全の家庭で育ったのに、すばらしい妻や子供たちも与えられました。私と同じように、永遠の命を信じて喜んでいる兄弟姉妹がたくさんいます。この場所では「永遠の命を持っているってすごいことだね」と言っても、みんな「アーメン」と答えてくれます。もし、イエス様を信じていないなら、毎日「ちくちょう、ちくしょう、なんでだよ」と不満と怒りをぶちまけながら生きていたでしょう。一番不思議なのは、感謝ができるようになったということです。それは、「神さまのお蔭だなー」と思います。お蔭というのは仏教用語なので、「神さまの恵みですね」が正しいと思います。
今から2,000前、ペンテコステの日、祈っていた120人の弟子たちの上に聖霊が下りました。その日、以来、イエス・キリストを信じる人には、だれにでも聖霊が与えられるようになりました。問題は、私たちの霊的な目が開かれるように求めることです。パウロが願っていることは神様のみこころです。私たちはこの地上では得られない知恵と情報を得ることができます。なぜなら、全知全能の神の霊が私たちの内におられるからです。知恵と啓示の御霊によって、神様ご自身と、私たちが受け継いでいる栄光と、神の力の偉大さがさらにもっと分かりますように。