2022.2.3「考える人 詩篇43:1-5」

 ロダンはダンテの『神曲』から『地獄の門』を作成しましたが、その門の頂点に置かれているのが『考える人』です。「地獄に入らないにするにはどうしたら良いか、考えよ」と警告しているようです。神さまは私たちに考える能力を与えてくださいました。人は、何かを考え、選択し、実行します。それに比べ、動物は本能に従って生きています。天使は神さまのご意志に従って行動しています。自分で自由に考えて生きるというのは、神さまが与えてくださった最大の賜物だと思わないでしょうか?しかし、ながら、現代の人たちは、あまり深く考えないで生きています。

1.脳神経学的な考える人

 前回の「感情を取り扱う」でも引用しましたが、キャロライン・リーフ博士が、新たに“Think,learn, succeed”という本を出版しました。直訳すると「考え、学び、成功する」であります。これまで積極的に生きるための本はたくさん世の中で出ていますが、彼女は脳神経学の立場から書いているので、別な意味で説得力があります。しばらく、引用しながらメッセージに替えたいと思います。今日の時代は、すぐに利用できて、いくつもの刺激を得られるのは簡単です。ソーシャルメディア、電子メール、テキストメッセージ、電子ブック、Facetime、Skype、チャットルーム-名前を付ければ、文字通りすぐにデータを処理できます。アメリカ・ストレス心理学会2017年の調査によると、2005年から2015年の間に、ソーシャルメディアを使用する成人の割合は7%から65%に急上昇しました。18歳から29歳の若年成人では、その使用量は同じ期間に12パーセントから90パーセントに増加しました。あなたはそれらと繋がっているために、自分の考えと二人っきりでいる時間の過ごし方を忘れてしまったかもしれません。ロダンの「考える人」のようなポーズをとったのはいつですか?自分と二人きりになるのが怖いですか?あなたとあなたの考えで、一人でいることができますか?バージニア大学とハーバード大学の同僚がある実験をしました。18歳から77歳の多数の参加者が、6分から15分間、一人で過ごすことに葛藤していました。参加者の大多数は、空想、熟考などによって自分の考えと二人きりになることを楽しんでいませんでした。座ったり、考えたりするよりも、自分に衝撃を与えることを好む人もいました。この研究の結論は、参加者のほとんどが、想像力を数分間使用するのではなく、何か刺激的なことを行なうことを好んだということです。実際、年齢を問わず、座ったり考えたりするだけでなく、Instagram、Facebook、オンラインショッピングアプリ、またはデバイス上で無作為にスクロールすることを好む人がますます増えています。私たちは文字通り、より多くの繋がりがありますが、これまで以上に孤立しています。 調査によると、ソーシャルメディアやその他の「スクリーン」活動により多くの時間を費やすことは、幸福度の低下、孤独感や抑うつ感の高まり、自殺のリスクの増大と強く関連していることが実際に判明しています。

もちろん、あらゆる世代において、社会における個人であることの意味は、時には劇的に変化します。それでも、バランスの取れたライフスタイルを考え、処理し、維持する能力は、社会の変化に対処する際の最優先事項です。そのため「考える人」の時間は、私たちのメンタル・セルフケアの不可欠な部分と言えます。私たちの脳は、認知症の予防を含め、その健康と機能のために「考える人」の時間を必要とします!脳は可塑性であり、常に変化することを忘れないように。私たちは、通信に費やす時間を決めるなどの選択をして、環境と融合すべきです。「考える人」の時間は非常に重要です。なぜなら、それは私たちの心のバランスをとり、私たちが自分の思考に影響を与え、私たちの環境を観察できるようにするからです。脳が最適に機能するためには、休止時間が必要です。人生の要求に対処するために、私たちの心と頭脳はパソコンのように「再起動」する必要があります。文字通りすべての外部刺激をオフにする必要があり、思考にある程度の「私時間」を与えます。一般に信じられていることとは逆に、あなたの心mindが止まることはありません。思考が集中的な思考や外部の影響から比較的自由である場合、心mindがさまよう、創造的な思考、空想を含む自発的な思考プロセスが発生します。この種の内的思考は、意図的な思考とそれに続く、学習の豊かさに貢献する上で実際に重要な役割を果たし、私たちの生活に強力な創造的側面を追加します。「考える人」の時間で、仕事、学校、そして人生における私たちの成功を高めることができます。この自発的思考モードがなければ、私たちの世界を変えるそれらの洞察とインスピレーションの高さに到達することができません。アイザック・ニュートンのように、私たちは皆、木の下に座って考えるだけの時間を費やす必要があります。 

 書き言葉なので着いて来れたでしょうか? キャロライン・リーフ博士が言わんとしていることは、外からの情報を一時遮断して、一人で「考える人」の時を持つということです。私たちが休息しているとき、脳の中ではどのようなことが起っているのでしょうか?パソコンは作業をしていなくても、ハードディスクが高回転しています。静思すると心がさまよい、過去の記憶や幻想が、次から次と浮かんできます。全く脈絡がないので、自分が統合失調症にでもなったような気がするかもしれません。私たちの記憶や考えはいろんなところと繋がっています。でも、そのときあなたの脳は情報を整理をしているのです。この線とこの線をつなぎ、この情報はこのボックスに入れ、これは無用なので削除するという作業としています。まるで、脳のデトックスです。やがて、私たちの記憶や考えが統合され、あなたはとてもすっきりした気持ちになるでしょう。これをマインドフルネスの状態と言います。目を開けると、統合され、組織化された脳がスタンバイ状態になります。神さまは私たちに考える力を与えてくれました。キャロライン・リーフ博士は地上のすべてのスマートフォンを結集してもこれにはかなわないと言っています。私たちの考えは、平和、健康、ビジョン、フィットネス、強さなどを改善することができます。この力はすべての人間の創造性と想像力の源であるため、考え、感じ、選択し、思考をマインドに組み込む能力は、宇宙で最も強力なものの1つです。重要なのは、洪水のように流れてくる情報に押し流されないで、あなたのマインドが主人となって、この世の情報をコントロールすることです。重要なのはwhatという情報の量ではなく、howどのようにそれらを用いるか考えることです。

2.詩篇の考える人

 後半は詩篇42と43篇から「考える人」について学びたいと思います。少し読むと、歌のようになっているのが分かります。「わがたましいよ」というサビの部分が、42:5と42:11にあります。また、43:5にもありますので、合計3つの歌が連なっているようです。類型的には、「個人の嘆き」であり、神さまに対する祈りであります。しかし、私は前半のポイントと関係付けて、「考える人」として捉えたいと思います。心理学的には、この人は「うつ状態」であります。しかし、自分を深く見つめつつ、神さまへと視点を変えて、癒されていくようになっています。詩篇42:4「私はあの事などを思い起こし、私の前で心を注ぎ出しています」と書いてあります。神の前でと言いたいところですが、その時は、まだ神さまの前ではありません。自分が自分に対して言っているのです。彼は「わがたましいよ」と自分自身に訴え、神さまを見上げるように鼓舞しています。詩篇の記者はそれらのことをすべて心の中で行っていると考えられます。私たちが目をつぶると、外の世界から一時的に遮断されます。自我が司会者になって、「今の私はどのような状態なのか?何を思っているのか?何を感じているのか?」と潜在意識に問いかけることができます。詩篇の記者とともに「考える人」を実践していきましょう。

 第一は、自分の今の状態、思いや感情を言い表すということです。

彼は今、どのような状態なのでしょうか?私たちは五感によって状況を把握します。それと同時に、私たちの意識の中にいろんな考えが浮かんできます。次に、私たちの中にある考えや感情に焦点を合わせ、できるだけそれを明細に説明していく必要があります。では、この人はどのような状態に置かれ、どのような考えや感情が湧き上がっているでしょうか?

①自分の魂は、神さまを慕いあえいでいます。

②敵のしいたげよって苦しんでいます。「おまえの神はどこにいるのか」と言われています。

③感情的には、悲しんでおり、思い乱れています。うなだれているとも書かれています。

④彼はかつてのことを思い出し、なつかしんでいます。あの時に帰りたいと願っています。

「考える人」の第一は、自分自身を外から客観的に見るという、認知的な作業をします。この詩篇の記者は、神さまを慕い求めています。霊的な飢え渇きを訴えています。でも、それだけではありません。自分の感情も一緒に現しています。私たちの考えと感情は結びついています。「考えはこうで」、「感情はこうです」と簡単には分けられません。でも、それで良いのです。彼の現在の状態は、捕らわれの身として異国にいます。回りの人たちから、「おまえの神はどこにいるのか」と馬鹿にされています。涙が食べ物であるとは、悲しみのどん底であることが分かります。欺きや不正、虐げもあると言っています。私たちはどうでしょう?私たちの心にも要塞があり、嫌なことを忘れることができません。解剖学的には、扁桃体が感情の図書館であると言われています。さらには、大脳のどこかにしっかりと記憶が刷り込まれています。何度も繰り返して思い出すので、決して忘れない出来事になっています。まさしく、それは心の要塞であります。あなたは過去の辛いことを思い出しながら、何とか帳尻を合わせようとしているのではないでしょうか?本当なら「仕返しをしてやりたい、本当に悔しい。でも、それができない」のです。「その人の上に、何か不幸なことが起るように」と願うかもしれません。でも、それはクリスチャンとして悪いことなので、思いなおして「主にゆだねます」と言います。あなたにはこのようなトラウマ的記憶があり、数十秒、さまようことはないでしょうか?第一段階目は、それで良いのです。そこに、「それは良くないことだ。忘れよう」と抑圧すると、体のどこかに痛みが生じてきます。神さまは私たちの味方であり、イエス様は弁護人です。だから、何を言っても受け入れてくれます。むしろ、「そうなのか?それは大変だったね」と、慰めてくださるのでしょう。だから、私たちは心置きなく、自分の考えや感情を神さまの前に差し出すべきであります。

 第二は、「自分の考えは、自分に平和や心配を感じさせるだろうか?現時点で心に湧いて来るものに対して、犠牲者なのかあるいは勝利者のように感じるか?」問うことです。

 この人物はあきらかに犠牲者です。神さまの前に出ようと必死にもがいています。涙が、昼も夜も食べ物でした。そんなのあるでしょうか?いつも、うなだれており、思い乱れています。その原因は、敵対する者たちが「お前の神はどこにいるのか」とそしるからです。彼は人々の欺きと虐げによって嘆いています。「どうかあなたの聖なる山に、私を連れて行ってください」と願っています。現実逃避とも言えます。ここで言えることは、もし、自分に平安がなく、心配で、うなだれているなら「何かがおかしい、何かが間違っている」ということを気が付く必要があります。もし、自分が人々や環境の犠牲者である気づくなら、「一体、何が原因なんだ!」と顔にパンチを食らったような気持ちになるでしょう。確かに神さまは私たちの味方であり、何でも、私たちの言うことを受け入れてくれます。また、慰め、励ましてくれるでしょう。でも、それだけだと、ずっと神さまを「自分の埋め合わせ対処の資源」として用いることになります。根本的な原因はどこにあるのでしょう?私がうなだれ、思い乱れ、涙を食べ物にしている原因はどこにあるのでしょう?私はこれから先、一生、犠牲者として生きるのでしょうか?すべての原因は、「考え」なのです。考えから、感情が生まれ、体に変調をきたしているのです。ゆがん考えから、ゆがんだ感情が生まれ、悲しみや、憂い、うつ的な気持ちが出ているのです。

 私はキャロライン・リーフ博士の本を翻訳し、その中の「あなたの脳を切り替える5段階の学習プロセス」をやってみました。そこに「現時点で心に湧いて来るものに対して、犠牲者なのかあるいは勝利者のように感じるか?」という質問がありました。それを見て、愕然としました。「ああ、私は犠牲者だ」と思いました。それまでは、ジョエル・オスティーンの本を読んで、私は「犠牲者victimではなく、勝利者victorだ!」と宣言していました。ところが、それは表面的なもので、実は犠牲者だったのです。最も重要な真理がここにあります。「環境や人々を変えることはできません。変えられるのは自分の考えです。」自分の考えを変えないなら、環境にあらがい、人々をコントロールするしかありません。牧師の権威をふりかざして、「やめろ」とか「そんなことを言うな」と言えるかもしれません。私が家内に「それができたらなー」とつぶやいたことがあります。家内は「あなたがそういう教会にしたのでしょう?」と言い返しました。今から20年以上前、セルチャーチを導入しました。その時「牧師と信徒の関係はフラットでなければならない」と言われて、それを教会に取り入れました。それ以来、役員会はタメ口になりました。好調なときは「教会はあなががたのものだのだから自由にやりなさい」と言いました。しかし、批判や反対が露骨に出てくるときもあります。そのときは、「牧師の権威はどこにあるんだろう?」と悲しくなります。半分くらいの教会は、「牧師の権威を重んじるように」と仕向けているでしょう。でも、私はそれを一度放棄したので、もう、この教会で取り戻すのは不可能です。だから、私はこれまで何度も自分の今の状態、思いや感情を神さまの前に言い表してきました。神さまから支持と慰めと励ましをいただいてきました。しかし、ここに来て「犠牲者なのかあるいは勝利者のように感じるか?」と問われて、犠牲者だと言わざるを得ないなら、何かが間違っているということです。環境や人々を変えることはできません。変えられるのは自分の考えです。一体、どこが、どのように私の考えがゆがんでいるのでしょうか?

 第三、有害な思考ブロックから抜け出す。

 言い換えると、「有害な要塞をどのように取り壊すか」ということです。キャロライン・リーフ博士は有害な考えが、有害な感情を生み出し、それが肉体と脳にダメージを与えると言っています。ほとんどの病気が心から来ていると言っています。私たちの悪感情である怒り、憎しみ、心配、悲しみが心臓、消化器官、筋肉、関節、骨、血管、皮膚、頭脳、神経に病気をもたらします。現代医学では、ストレスが私たちの自己免疫を弱らせ、癌に至らせることが常識になっています。私はこれまで肉体のことは全然、考えないで生きてきました。しかし、60歳過ぎてから、「ご自愛してください」という意味がやっとわかりました。それはともかく、有害な考えをどのように変えることができるのでしょうか?私は環境や人々の犠牲者だと気付いて愕然としました。そこで、ペンを置いてどうしたら良いか分からず、一晩寝ました。いつものように朝早く起きて散歩にでかけました。ちょっと歩きだしたら、昨晩の続きの問いと答えがやってきました。なんと、脳は私が寝ている間も考えていたのです。「環境や人々を変えることはできない。変えられるのは自分の考えである。だから、どうすれば良いんだ」。「私には神さまが報いてくださる。人はともかく、私は神さまと共に歩めば良いのだ」。「そうか、そうなんだ」と心から納得しました。でも、「聖書的にはそれはどうなんだろう?」と帰ってきてから考えました。ヘブル11:6「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」アーメン。ヘブル11章には、ノア、モーセ、アブラハムがそうであったことが書かれています。もう一箇所浮かびました。エペソ2:6「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」アーメン。私の肉体と心は地上にありますが、私の霊は神さまの御座の隣りにあります。確かに肉体と心は地上にあるので苦しみを受けています。しかし、霊は天上にあるので全く平気です。そう考えたら、辛いことや嫌なことがあっても大丈夫と思えるようになりました。

 上記のことを裏付ける証拠が詩篇42篇と43篇にあるのでしょうか?あります。彼の肉体と心は捕らわれの身として異国にいます。彼は遠くから神殿での礼拝や祭りを懐かしく思っています。でも、現実は「お前の神はどこにいるのか」と馬鹿にされています。そこで、彼は心を注ぎ出し、神さまに呼ばわっています。解決はどこにあるのでしょう?くりかえしの部分にあると思います。3つはほとんど同じですが、42:11「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。」が答えになっています。彼は自分の魂に叱咤激励をしています。肉体と魂は異国で苦しんでいます。でも、霊はどこにいるのでしょうか?神を待ち望めと自分に言っています。そして、環境や状況がどうであれ、「私はなおも神をほめたたえる」と誓っています。そして、最後「私の神の救い、私の神を」で終わっています。文の流れからすると、私の神の救い、私の神を「待ち望む」ようになっています。でも、彼は霊的には神さまの御前にいるのではないでしょうか?祈りの中で、つまり考えにおいては、遠くの異国ではなく、神さまの御前にいるのです。そのことが分かったとき、現実の辛いことや悲しいことが吹っ飛んだのではないかと思います。「環境や人々は変えることはできない。でも、神さまが私に報いてくださる。私は神さまと共に歩めば良いんだ」と分かったのではないでしょうか?

 私たちが深く考える時、脳内で何が起きているのでしょう。自分に有害な考えや感情があるのではないだろうかと気づいたとします。私たちの脳は、要塞を取り壊し、健康的な考えに変更するために何をするのでしょうか?覚醒した毒性を含む情報は、海馬と呼ばれるタツノオトシゴ形の構造に流れ込みます。海馬は思考のための一種の情報センターです。海馬は、活性化された情報を統合し、変換して、それを大脳の長期記憶に送るハブの役目があります。残念ながら、海馬にその記憶を留められるのは長くて72時間までです。そのとき、変更した情報を大脳に送らないと、蒸気のように消えてなくなります。心理学的な見方で言うと、あなたが考えるのは意識においてです。考えている内に、潜在意識から毒性を含む情報が浮かんできました。あなたはそれを捕まえて、「これはこうなんだよ」と正しい考えに置き換えて、それを潜在意識に送り返すのです。それができる時間はやはり、72時間までです。メッセージで「あなたはこうすべきです」と牧師がチャレンジします。そのときは「ああ、そうなんだ」と考えを変更したいという意欲があります。でも、それをしないで家に帰ると火曜日には蒸気のように消えてなくなります。バスケットボールの選手は球がリングネットにはいるように、何度も何度も練習します。私たちに植え付けられた有害な考えは一度刻まれると、道路の轍のようになっています。新しい考え、新しい轍を作るためには、何度も何度も、練習する必要があります。でも、大丈です。私たちが深く考えるとき、御霊なる神がそこに加わってくださり、私たちの思いが変革するのを助けて下さいます。