クリスマスおめでとうございます。教会ではすでにクリスマス礼拝を終えてしまいましたが、イブ礼拝は特別な意味があるのかもしれません。聖夜、ホーリーナイトだからです。クリスチャンになる前は、とてもロマンチックな感じがして、恋人たちが愛を告白し合う日ではないかと思っていました。そうすると、告白する相手がいないと、惨めで寂しい気持ちになってしまいます。ところが、クリスマスは救い主がお生まれになった記念日だと分かってからは、この世では得られない喜びが湧き上がってきました。
1.神の子羊による罪の贖い
ヨハネ福音書1章には「神の子羊」ということば二回登場します。二回とも、バプテスマのヨハネのイエス様に対する証言です。彼はイエス様が30歳になって公生涯を始める前に、荒野に現れ「悔い改めて福音を信じなさい」と叫びました。つまり、彼はメシヤが来られるために、道を整える預言者だったのです。そうでないと、せっかくメッシヤが来たのに、人々が救いを得られずに滅びてしまうからです。ヨハネがヨルダン川でバプスマ(洗礼)を人々に授けていたら、遠くから自分の方にイエス様が近づいてこられました。そのとき、彼は「見よ。世の罪を取り除く神の子羊」と叫びました。英語の聖書はBehold! The Lamb of Godとなっています。Behold!は「見る」の古い言い方です。Lambは一歳以下の羊ですが、The Lamb of Godとなると、「神の子羊、キリスト」という意味になります。このメッセージの後、Now Behold! The Lambというクリスマスの賛美をすることになっています。きょうのメッセージとぴったりなので、亀有ゴスペルクワイヤーにリスエストしました。
では、「神の子羊」とは、どのような方で、どのような意味があるのでしょうか?さきほど、「神の子羊はキリスト」なのだと、ぶしつけに言いましたが、当時はメシヤといいました。メシヤはヘブル後読みで、「油注がれた者」という意味です。またギリシャ語ではクリストウ(キリスト)と言いました。イエスは個人の名前ですが、キリストは職名であり、油注がれた者、メシアという意味です。では、神の子羊とは何なのでしょうか?バプテスマのヨハネは「世の罪を取り除く、神の子羊」と言いました。これには大変深い意味があります。旧約聖書には子羊による犠牲によって罪が赦されるという有名な記事が2箇所あります。最初は出エジプト12章に出てきます。イスラエルの民がヨセフの計らいで、430年もエジプトにいましたが、最後は奴隷状態でした。主はモーセを指導者に立て、エジプトのファラオからイスラエル民を脱出させようとしました。モーセはたくさんの奇跡を行って、「自分たちを解放しないとひどい目にあうぞ」と交渉しました。ところがファラオは「主とはだれだ、なぜ、私の財産であるイスラエルを手放さなければならないのか」と悪態をついて、解放しませんでした。極めつけは10番目の奇跡であり、主がすべての初子を殺すというさばきです。初子とは、家畜から奴隷、一般人から王様にいたるまですべての最初に生まれた男子のことです。主はイスラエルだけに、そのさばきから救われる道を示しました。それは一才の子羊を殺して、その血を家の入り口のかもいと両柱に塗るということです。日本には神社に行くと赤く塗られた鳥居がありますが、その出来事のなごりです。さばきの日が訪れ、イスラエルの全家はそのことを実行しました。ところが、エジプト人はそれをしなかったので、家畜から奴隷、一般人から王様の初子が次々と死にました。エジプト中に恐れが訪れ、ファラオは降参して、イスラエルを解放することに決定しました、。聖書でエジプトはこの世のこと、ファラオはサタンを象徴しています。子羊の血が塗られた家は、主のさばきが過ぎこしました。それはどういう意味かというと、キリストの血が塗られている人は、さばかれることがなく、サタンの世から解放されるということです。クリスチャンはキリストの血が塗られている存在です。
もう1つは、レビ記5章に子羊のことが登場します。子羊を殺して、その血を裁断に注ぎます。何のためかというと、その人が犯した罪を取り除くためです。犯した罪はいのちである血でしか贖うことができないからです。そのことをレビ記では「罪を除いて宥めを行うため」と言っています。これはどういう意味でしょう?世の終わり、イエス・キリストが神の子羊として、私たちの罪の代わりに死んで、罪を贖うということです。これを宥めといいますが、イエス・キリストが十字架で血を流したことにより、神が人類に対する怒りをひっこめられたということです。言い換えると、和解の手を差し伸べられたということです。人は贖いをなされたイエス様を救い主として信じることによって、罪が赦され神と和解することがきます。そのことにより、人は罪と死から解放され、永遠のいのちが与えられるのです。
2.キリストの血による罪と死からの解放
後半は、少し述べた罪と死から解放について詳しくお話したいと思います。パウロはローマ5章に、罪と死がどのように人類に入ってきたのか、その原因を述べています。ローマ5:12「一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった」と書かれています。一人の人とはだれのことでしょう?それは人類の先祖であるアダムです、アダムが罪を犯したために罪と死が全類に広がってしまったのです。創世記3章にそのことが書かれています。アダムとエバが食べてはならない善悪を知る知識の木を食べてしまいました。それは神に反逆する行為であり、罪の始めになりました。その結果、アダムだけではなく、アダムの後に生まれるすべての人類が死ぬことになったのです。私には孫がおります。二番目の聖矢が結婚して、男の子が生まれ現在、1歳と半年です。1ヶ月おきくらいに遊びに来るのですが、毎回、私たちを見て泣くんです。泣くだけではなく、怒ってそこいらのものを放り投げるのです。2時間くらいして、やっと慣れるですけど、もう帰る時間です。その後、1ヶ月後、また私たちの顔を見て、泣き、怒ってそこいらのものを放り投げるという繰り返しです。「いい加減に覚えろよ!」といいたくなります。私が言いたいのは、純真無垢に見える1歳の子どもでも罪があるということです。怒って当たり散らすのは立派な罪です。まもなく、悪いことばを言い放ち、うそも言うでしょう。誰も教えた訳でもないのに、もっと悪いことをするでしょう。なぜかというと、それはアダム以来の罪が宿っているからです。
ヨハネ3章には、ニコデモという人がイエス様を尋ねてくる物語が書かれています。彼はユダヤ教徒で、ユダヤ人の議員であり、金持ちでした。当時の人たちから、「こういう人が天国に行ける典型的な人物であろう」と思われていたことでしょう。ところが、ニコデモは「夜」こっそり、ラビ・イエスを尋ねて来たのです。いきなり、イエス様は「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と言いました。つまり、彼のような人間的に申し分のない人でも、「そのままでは神の国は入れない、救われない」とおっしゃったのです。これはどういうことでしょう?この「夜」ということころに、彼のことが暗示されているように思います。私の恩師、大川牧師は「あなたにも夜がある」という本をお書きになられました。その本には「ニコデモは罪と死という夜をぶら下げて、イエス様のところにやってきたのだ。人間の夜は、どんなに強いサーチライトを持ってきても明るくすることができないし、そんなに多くの白いペンキで塗りたくっても、色を変えることのできない絶望的暗黒である」と書かれていました。私は「ネオンの灯」かりかと思いましたが、サーチライトでした。礼拝で歌う賛美が昭和くさい「ネオン」になっていたからです。でも、どちらでも良いです。いいたいことは、どんなに立派に見える人であっても、罪と死の支配は免れないということです。
ところで、ブラック・ゴスペルに“Now behold the Lamb”という賛美があります。この曲をこの間、KGCクリスマスコンサートでも賛美しました。これはクリスマスの曲であり、とても感動的な曲です。あとで、賛美をしますが、このような歌詞です。Now behold the Lambは、バプテスマのヨハネが言った「見よ、神の子羊」と同じです。この人物は罪の中に生きており、とても苦しんでいます。主が右に行けというのに、彼は左に行きました。いつも、主にそむいて生きていました。罪の結果、涙していると、主は、常に赦してくださいました。この泣きの部分がとても良いです。Why You love me so, Lord, I shall never know. The Precious lamb of God.「なぜ私をそんなにまで私を愛してくださるのですか?主よ、私は理解できません。尊い神の子羊よ」 この賛美には、何度も罪を犯してしまうふがいない人の性質が歌われています。同時に、それにもまさる神の子羊による罪の赦しが歌われています。罪の増すところに、恵みもいや増すのです。でも、罪を繰り返し行うふがいない自分のままではありません。新しく生まれ、神のいのちが与えられ、罪と死に打ち勝つことができるようになります。その人は神のこどもとして栄光から栄光へと帰られていくのです。
もう一度、どのように私たちが救われるのか聖書から繰り返し述べさせていただきます。一人の人アダムによって罪と死が全人類に入り込みました。川の上流に毒物が混入され、その川下の人たちが、罪と死にやられているような状態です。ところが、最後のアダムといわれるイエス・キリストが女の末から生まれました。そのことは、創世記3章の堕落の記事に預言されています。「女の子孫がサタンの頭を打ち砕く」と預言されていたとおり、処女マリアから生まれたイエス・キリストがそのことを成し遂げてくださったのです。まさしく、御子イエスは神の栄光を捨てて、罪の世界に私たちと同じ姿でお生まれになってくださいました。それは、私たちの身代わりとなるためです。旧約聖書の預言のとおり、ご自身の神の子羊として、十字架にささげられたので、人類の罪が取り除かれ、救われる道を成就したのです。つまり、毒の混じった川に対して、いのちの川が別に作られたのです。あなたはどちらの川の中で生きているのでしょうか?救いの要はキリストの血です。キリストの血によって、神の怒りが過ぎこし、サタンの支配から解放されます。キリストの血によって、すべての罪を赦され、永遠のいのちを持つ権利が与えられるのです。一番重要なことは、そのことは私のためです」と信じて、受け入れることです。そうするならば、あなたは新しく生まれ変わり、死を乗り越える永遠のいのちがあたえられます。クリスマス・カラーといえば、金と赤と緑がよく用いられます。金とは王であるイエス・キリストを象徴しています。赤はキリストが流された血潮です。緑は常緑樹ですが、キリストを信じることによって与えられる永遠のいのちです。金、赤、緑は、まさしく神の子羊とその救いをあらわしているのです。アーメン。