「使徒の働き」にバルナバという人物が出てきます。彼は初代教会で7人の執事の一人として選ばれました。映画やテレビに「名わき役」という人がいますが、彼は最もすばらしい「名わき役」ではなかったかと思います。パウロやペテロのように強いリーダーシップを発揮したり、自己主張したりしない穏やかな人です。いわば、弱い人を助けて励ます人です。きょうは、バルナバがどういう人物であったのか、「使徒の働き」を何箇所か開いて学びたいと思います。
1.与える人バルナバ
バルナバは惜しみなく与える人でした。使徒4:34,35「彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。」ペンテコステの日、ペテロの説教によって、3000人の人が救われました。さらには生まれつきの足なえが癒されて、5000人の人たちが救われました。エルサレムにおいて、そんなにたくさんの人たちがキリストの弟子になったのですから、彼らを育てるのが大変です。おそらく、ペンテコステの日、聖霊を受けた120人の弟子たちが家々に彼らを招いて養育したのだと思います。でも、彼らの中には、一時的に地方から出てきている人も大勢いて、住む家も生活費もままならなかったと思います。そのために、人々は自分の地所や家を売って、代金を携えて、使徒たちの足元に起きました。「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった」と書いてありますが、必要に応じて分配されたからでしょう。このことはだれから強制されたのではなく、神さまの愛と救いの喜びの結果であろうと思います。その中に、バルナバという人物がいました。
使徒4:36,37「キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」「バルナバース」のギリシャ語の意味は、「預言者の子」という意味です。しかし、当時、使われていたアラム語では、「慰めの子」として解釈していたようです。本名はヨセフですが、人を励ましたり、慰めたりするので「彼はバルナバだ」と呼ばれたのかもしれません。「バルナバは自分の畑を売って、その代金を持ってきて、使徒たちの足もとに置いた」とあります。なぜ、特別、バルナバの名前が出てきたのでしょう?他にもささげた人たちがいたはずです。その理由は、5章の1節に出てくるアナニヤとサッピラという人たちと比較するためではないかと思います。使徒5:1,2「ところが、アナニアという人は、妻のサッピラとともに土地を売り、妻も承知のうえで、代金の一部を自分のために取っておき、一部だけを持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」おそらく、二人はバルナバがしたことを見て、自分たちもあのように人々から敬われたいと思ったのかもしれません。しかし、一部は残しておいて、全部ささげたかのようにごまかしたのであります。これが大きな罪になって、二人とも死んでしまいます。バルナバは人から敬われたいと思ってささげたのではなく、純粋な気持ちでささげたのです。
気前よく与えることを英語で、generouslyと言います。常識的に考えますと、人に与えたら、自分の分が減るので寂しい気持ちになるでしょう。ところが、気前よく与える人というのは、「ああ、その人が喜んでくれたので嬉しい」と自分の心が豊かになります。決して、損をしたとは思わないのです。そのことをご覧になっておられる天の神さまが、「よし、バルナバに豊かに恵んであげよう」と思われるのです。結果的に、減った分よりも、さらに与えられるのです。ルカ6:38「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。詰め込んだり、揺すって入れたり、盛り上げたりして、気前良く量って懐に入れてもらえます。あなたがたが量るその秤で、あなたがたも量り返してもらえるからです。」「使徒の働き」も、「ルカによる福音書」も、同じルカが書いたものなので、2つは関連があるのではないかと思います。きょうはバルナバのことを4つあげますが、共通しているテーマは「父の心」です。バルナバには父の心があったので、気前よく与えることができたのです。父なる神さまは豊かに与える気前の良いお方です。父の心を持った人、バルナバも豊かに与えることができたのです。これは義務とか仕方なくではなく、父の心を持つと、人に与えたくなるのです。
2.世話をする人バルナバ
使徒の働き9章において、サウロ、のちのパウロの回心劇が記されています。復活の主と出会って、恐ろしい迫害者から、力強い擁護者に変えられました。しかし、当時の弟子たちはそのことが信じられませんでした。使徒9:26-28「エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。」もし、バルナバがいなければ、「サウロは危険人物だ、教会に入れてはならない」といつまでも思われたでしょう。「しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き…」とあります。「引き受ける」のギリシャ語は「つかまえる、ひっつかむ」という積極的な意味のことばです。バルナバは、彼を放っておくと潰れてしまうので、使徒たちの所へ連れて行こうとサウロをつかまえたのです。そして、サウロがどのように回心し、その後、ダマスコでイエスの御名を大胆に宣べ伝えた様子などを説明しました。つまり、仲介役を勝って出たということです。間に入って、人のお世話をするということは、たやすい事ではありません。両者から恨まれることもあるからです。ですから、喧嘩の仲裁はお巡りさんに任せた方が良いでしょう。しかし、バルナバは人々から誤解されているサウロのために、彼は本当に変えられたのだと弁明してあげました。
ところで、人の世話をするというのは簡単なことではありません。私は神学校で牧会学を習いましたが、それは人々の世話をすることであると教えられました。古い会堂の頃は、突然、教会を尋ねてくる人が大勢いました。朝起きたら、会堂によっぱらいが寝ていたときもありました。肉体的、精神的にハンディを持っている人たちもたくさん来ました。「お金を貸してください」という人は数えきれないほどであり、返してくれた人は一人もいません。電話も自分の名前を名乗らずに、いろんな相談をしてきます。教会を尋ねて来た人のために、相談に乗ってあげたり、いろお世話しました。でも、教会の礼拝に定着する人はほとんどいませんでした。ある兄弟が「私は牧師になりたい」と突然訪ねて来られました。「すごいことだなー」と感動して、ある神学校を紹介してあげました。引き受けた責任があるので、できるだけのサポートもさせていただきました。ところが、いろいろ問題を起こして、校長先生から何度も苦情を言われました。結局はそこを退学して、こちらに戻ってきましたが、すぐ、他の教会に行きました。兄弟から「今、行っている教会に転籍したい」とメールが届きました。「私は本人の信仰のためにどこに行っても良い」と心から思っていました。ところが、そのメールには、「救われるためには行いも必要であり、熱心に活動しなければならない。ただ信じるだけで救われるというのは異端の教会である」と書かれていました。顔に泥を塗られたくらいなら我慢もできますが、異端みたいに言われて、とてもガッカリしました。「せっかくお世話してあげたのに、後ろ足で砂をかけられるとは、このことだな」と思いました。
その後、私はバウンダリー(境界線)ということを学びました。突然、お電話での相談がある場合は、「まず、日曜日の礼拝にお越しください。その後、求道者としてお話しを聞きます」と応えるようにしています。でも、教会に来る人は皆無です。また、教会を突然、尋ねてくる人もいますが、応接室には入れません。玄関ロビーで応対し、交通費ぐらいはあげることにしています。旧会堂の時は礼拝堂に泊めてあげたりもしました。一旦、会堂に入れてしまうと出て行ってもらうのが大変です。以前は、カウンセリングに大変興味があり、4つくらいのセミナーで学びました。しかし、私はカウンセリングの賜物がないことが分かりました。聞くよりも、話す方だからです。私はpreacher説教者であり、カウンセラーではありません。でも、人の話を全く聞かなくて良いか、そんなことはありません。「人はアドバイスでは変えられない」と知ってから、聞き方が違うようになりました。大体、悩み事のある人というのは、自分の考えに同意してもらいらいたのであり、「それは違う」とは言ってもらいたくないのです。とにかく、人を助けるというのは、大変であります。溺れている人を助けるために水に飛び込んで、その人が溺れ死ぬことがよくあるからです。バルナバは人の仲介役を勝って出ましたが、1つは賜物があるということです。そして、自分の力ではなく聖霊に頼ったということです。彼が執事に選ばれた理由は「御霊と知恵とに満ちた人」(使徒6:3)であったからです。人を助けるというのは、リスクを伴います。でも、本当に助けられた人は、一生感謝をするに違いありません。バルナバは人の世話をするという父の心がありました。父の心を持っている人は、たとえ裏切られても、めげることはありません。
3.励ます人バルナバ
ステパノのことで大迫害が起こり、エルサレムの信徒たちは散らされてしまいました。散らされた人たちはユダヤ人以外の者にはみことばを語りませんでした。しかし、アンティオキアに来てから、ギリシャ人にも主イエスのことを宣べ伝えました。主の御手が彼らと共にあったので、大勢の人が信じて主に立ち返りました。使徒11:22-24「この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。」アーメン。遣わされたのがバルナバで本当に良かったと思います。もし、ユダヤ教に熱心だった人が来たらどうでしょう?「あなたがたはモーセの書を読んだことがないでしょう。あなたがたの信仰は正統的でない、亜流だ」と責められたかもしれません。しかし、喜んで、彼らを励ましました。このところでも、「彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。」と高く評価されています。
「励ます」のギリシャ語は、パラカレオゥです。「ある事をするように呼びかける、勧める」の他に「元気づける、慰める、励ます」という意味があります。イエス様がヨハネ15章で「助け主」とおっしゃっていますが、その言葉はパラクレートスであり「慰め主」という意味です。バルナバは以前から「慰めの子」と呼ばれていました。彼の上に慰め主である聖霊が臨んだので、ますます、その働きが出来たのだと思います。アンティオキア教会はギリシャ語を話す、異邦人の教会です。エルサレムで迫害されて逃げて来た人たちが、勝手に伝道してできた群であります。使徒でもない、名もない人たちが作った教会であるならどうでしょう?バルナバがそこに到着したとき、「神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました」とあります。彼にはそれが神さまの恵みであると見えたのです。そして、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ましました。この「励ます」は、「ある事をするように呼びかける、勧める」という方の意味でしょう。英語の聖書にはexhortとなっており、「熱心に説く、勧める」という意味のことばです。もし、このような人が学校の先生であったなら、なんと幸いでしょうか?日本ではできないところ、ダメなところを強調します。その子の不得意な分野、欠点をできるだけ直そうとします。しかし、「教育」のラテン語の意味は「引き出す」であり、その子が持っている神さまが与えてくれた独自のものを引き出すことが重要なのです。
励ます人というのはやはり父の心を持った人です。ルカ15章に記されていますが、兄は放蕩して帰って来た弟を受け入れることができませんでした。それは当時のパリサイ人や律法学者の罪人に対する態度と同じでした。しかし、父は弟息子を無条件に受け入れ、愛し、身分を回復してあげました。教会にも兄的な人と父的な人がいます。第一ヨハネ2章には「小さい者たち、若者たち、父たち」と三種類出てきます。兄とは、若者たちのことであり、自分のことでせいいっぱいで、小さい者たちをさばいてしまいます。しかし、父たちは、父なる神さまの心をもって、小さい者たちを励まし、養育する人たちのことです。ですから、教会にはバルナバのように父の心を持った人たちが必要なのです。
4.リクルートする人バルナバ
もともとrecruitは、「軍隊に新兵を入れる、新兵を募る」という意味でした。しかし、今は日本語にもなっており、「採用する、起用する、募る、徴募する」という意味で使われています。同じ意味では、scoutという言葉があります。Scoutは、もともとは、斥候、偵察兵、スパイという意味です。しかし、一般的にはプロスポーツ団に雇われて選手を勧誘をしたり、新人タレントを掘り出す係りのように使われています。ですから、ここではrecruitもscoutも同じような意味で使いたいと思います。簡単に言いますと、バルナバはサウロをリクルートするために、タルソに出かけたということです。使徒11:25,26「それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、
彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」サウロが回心してから、おそらく13年はたっていたと思われます。サウロはアラビアに出て行って黙想し、その後、ダマスコに戻って(ガラテヤ1:17)いたのです。パウロは第三の天に上るような経験をし、キリスト様から直接啓示を受けたに違いありません(Ⅱコリント12:2-7)。時が満ちるかのように、バルナバはサウロを見つけ出し、アンティオキアに連れてきました。バルナバは人を励ますことはできますが、聖書を体系的に教える力がないことを知っていました。「アンティオキアの教会が健全に成長するためには、サウロが必要である、サウロをリクルートしなければならない」と考えたのです。まる一年、サウロが彼らを教えました。すると、「弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」とあります。「キリスト者」は、ギリシャ語でクリスティアヌスであり、「キリストに組する者、キリスト党員」という意味です。おそらく、「あいつらは、毎日、毎晩、キリスト、キリストと叫んでやがる、やつらはキリスト党員に違いない」と人々から揶揄されたのでしょう。それを逆手にとって、私たちは「キリスト党員、クリスチャンです」と言ったのではないかと思います。口に出すというのは、彼らが信仰にあふれていたからでしょう?それはサウロがまる一年間、彼らを教えたからです。
バルナバは自分の力に限界を覚え、サウロを教師として起用したのです。一年後、サウロとバルナバは聖霊によって、小アジアの宣教に遣わされました。使徒の働き13章に、そのことが書かれています。最初、バルナバの故郷であるキプロスに伝道に行きました。そのとき、ヨハネまたの名、マルコを助手として連れていきました。使徒13:13「パウロの一行は、パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡ったが、ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった。」マルコは何かの理由で、エルサレムに帰りました。でも、ここでサウロがパウロになっています。ある説では、「マルコ・ヨハネは叔父のバルナバではなく、パウロがリーダーシップを取ったのが嫌になったのだろう」と言っています。使徒の働き15章で、パウロは「仕事のために同行しなかったような者は一緒に連れていかないほうが良い」と考えました。激しい反目となり、バルナバはマルコを連れて、キプロスへ渡って行きました。パウロはシラスと第二次伝道旅行に行きました。それ以降、バルナバの名前が聖書の舞台から消えました。もっぱらパウロが活躍しています。バルナバはマルコをなんとかしたいと思ったのです。マルコはやがて、ペテロの通訳者としてローマに渡りました。そして、「マルコによる福音書」を書きました。そういう意味では、バルナバは偉いと思います。普通、自分の後輩が偉くなろうとすると、「10年早い」とか言って、ゲシゲシと押しつけるものです。しかし、バルナバは父の心を持っていました。父は我が子が自分を乗り越えて行くことを喜ぶものです。「お前は半人前だ」とかいって、いつまでも自分の下に敷いておくのは、本当の父ではありません。バルナバはサウロがパウロになって、神さまに用いられるようになったことを喜んでいたに違いありません。
最後に、私がクリスチャンとして成長するために重要であった三人の人たちを紹介したいと思います。一人目は、貿易会社の増田さんです。土木の現場監督を辞めて、英語の仕事に就きたいと思ってその会社に応募しました。面接のとき、ビジネスレターを訳すように言われましたが、全く分かりませんでした。なのに、「私と同じ人が来た」と入社させてくれました。彼は暇さえあれば、キリスト教の話をしました。しかし、仕事を教えてもらっているので、話を聞くしかありません。でも、彼の話はとても興味深くて、後から、ほとんどが聖書の話だとわかりました。もし、増田さんと出会わなければ、クリスチャンには絶対ならなかったでしょう。二人目は、私の霊的な父である大川従道牧師です。私を弟子として紹介してくれて大変光栄に思います。一番すばらしいことは、大川牧師が現在の妻、京子さんを紹介してくれたことです。結婚がうまくいかないとしたなら、それは私の責任ではなく、神さまと大川牧師の責任であると思ってきたのでうまくいっています。三人目はインドネシアのエディ・レオ師です。エディ師はセルチャーチのため10年くらい日本に来てくれました。当教会にも来られました。私も2度、ジャカルタに行きました。「父の心」を教えてくれただけでなく、実際に祈ってくれました。日本で一番、エディ師を慕っているのは私であると勝手に自負しています。もう一人、おまけに紹介したい人は、明石ベテル教会の井上牧師です。彼は自分のことをバルナバ牧師と呼んでいます。私が当教会に赴任した時、神学生として来られ、5年間一緒に伝道牧会しました。私もいろんな集会に彼を誘い、良いものは何でも紹介しました。そのため、今でも私を兄のように慕っているようです。彼は本当に穏やかで、人と争うことはしません。彼は本当に人を励ます人なんだなーと思います。聖書のバルナバもそうですが、バルナバ的な人を思い起こすと、甘い気持ちになります。私たちも霊的に成長し、父の心を持って、人々を励ましたいと思います。それは人間的な魅力ではなく、バルナバのように聖霊と信仰に満ちている人であるからこそ可能であると信じます。