2021.3.14「数々の書物 詩篇139:13-18」

 黙示録20章にはいのちの書の他に「数々の書物が開かれた」と書かれています。数々の書物というのが何か、明確な書名はわかりません。私はRobert Hendersonが書いた『天の法廷における祈りと宣言』を読んで大変感銘を受けました。彼の本には、our book of destiny「私たちの運命の書」というテーマがあり、そこからの引用が、かなり多いことを最初に申しあげます。詩篇139:16「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」ダビデは、天には書物があり、彼がどのように造られたかを記しています。さらには、彼の運命と人生の目的が記されています。詩篇139篇は本当に興味深い聖書箇所です。神さまは本に書き記す前に、私たちの本質を見抜いていました。それだけではありません。私たちが形造られる前に、神さまは私たちの運命と目的を預言者が見るかのように、既に見て、知っておられたのです。

1.本質の書物

 最初のポイントは、「私たちの本質の書物」です。神さまは私たちの本質をその書物に書き記されました。そこには、私たちのDNAも一緒に収められていたと信じます。DNAは、その人のユニークさなど、個人的なことが設計図のように書かれています。現に、13節の「組み立てられた」は英語の聖書にはknit「編む」と書かれています。DNAを元にして、様々な細胞が編まれて内臓や筋肉になるようなイメージがあります。しかし、そういう肉体の面だけではありません。私たちが何を欲するか、何に魅かれるかということまでも含まれています。つまり、それは、私たちが何が得意で、何が不得意かということです。それらのことは、もう1つの書物である、「私たちの運命や目的が記された書物」と一致するようになっています。本質の書物に何が記されているか知るための最も良い方法は、あなたが何を欲するか、あなたのdesireは何かを知ることです。Desireというのは、「欲求する、望む、願う」という意味です。同時にあなたが持っている賜物や能力を知ることも重要です。それらの中に、あなたが何のために造られたのかを知る糸口、手がかりがあるでしょう。それらのものは個人的であり、人それぞれ異なります。神さまはそれらの賜物を見て、あなたに与えられるように、予定して書物に書いたのです。ある人たちは、厳格な予定論を立てていますが、そういう意味ではありません。神さまは私たちの人生のために、考えを持っておられるという方が妥当です。私たちは神さまの計画に同意しないかもしれません。しかし、あなたが神さまの計画に沿って、努力をしたときに、より満足感が与えられるでしょう。

 私は8人兄弟の7番目に生まれ、3人の兄たちをお手本にして育ちました。兄たちは洋楽が好きだったので、私も自然に洋楽を好みました。子どものときは、ソノ・シートというペラペラのレコード盤を聞いていました。二番目の兄はホーム・ドラマが大嫌いだったので、私もホーム・ドラマは見ません。私の家内はテレビ・ドラマを見ますが、私はあまり見ません。三番目の兄はトランペットとボクシングをやっていました。私は中学でブラスバンド部に入りました。しかし、トロンボーンしか空きがなかったので1週間でやめました。高校のときボクシング部に入りました。しかし、私は運動神経が全くなくてダメでした。最後に、一番上の兄と同じ高校の土木科に入りました。暗黒の高校時代でしたが、何とか卒業し、兄と同じ建設会社に入りました。仕事はやりがいがありましたが、住所を転々とするので嫌になりました。23歳のとき、「I Have a Dream私には夢がある」と会社を辞めました。それまで、英語に興味があったので、「通訳か英語事務の仕事をしたい」とコツコツ勉強していました。しかし、専門の学校で学んだ訳でもないので、世の中の風は冷たく感じました。6か月失業していましたが、やっとのことで小さな貿易会社に入ることができました。そこの上司がクリスチャンで「私と似た人が来た」と入れてくれたんです。そこで、伝道されてクリスチャンになりました。23歳で転職し、25歳で洗礼を受けました。きっかけは、「英語が好きだ」というDesireでした。私は「アメリカに行けば人生が変わる」と本気で思っていました。しかし、上司は「アメリカ人はみな英語を話すよ。英語を話せるくらいじゃ人生は変わらないよ」と言いました。そうです。私はイエス様を信じてから人生が変えられました。私は、このように「しゃべること」が賜物だったようです。運動能力もトランペットもだめだったけれど、神さまからの賜物は、聖書からメッセージすることでした。

 「運命の書物」について少しお話しします。エペソ1:11「この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。」英語の聖書を見ると、この箇所にはpredestined「予定する、運命づける」という言葉が用いられています。日本語聖書は「あらかじめ定める」となっています。神さまの目的に従って、私たちの書物に何かを書かれたということです。これは、「人々が神さまの目的を果たさなければ、この地における神さまの目的を果たすことができない」という意味です。この理由があるからこそ、悪魔が私たちに敵対し、私たちの運命が成就するのを阻止するのです。もう一箇所、開きます。エペソ2:10「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」このところには、私たちの計画に対する神さまの考えが記されています。私たちが良い行いに歩めるように、あらかじめ備えられたものがあることが分かります。これらのものは、天にある、私たちの運命の書物に言及されています。このところに、「神さまの作品である」と書かれています。ギリシャ語の聖書はポエイマであり、「作られたもの」という意味です。また、「芸術的な作品」ということも暗示しています。また、ギリシャ語のポエイマから、英語のpoemという語が生まれました。poem詩、詩のような作品という意味です。神さまは、私たちの書物の中に、私たちの願望を反映させるように細工したのではないかと思います。詩を読むときは、リズムをつけて読むと効果的です。私たちも神さまの運命に足を踏み入れる時、聖霊のリズムが同調することを発見することでしょう。

 「すべて、疲れた人」からはじまるマタイ11章28節から30節はあまりにも有名です。聖書にMessage Bibleというのがあります。マタイ11章28節以降をMessage Bibleを訳したものを紹介したいと思います。「あなたは疲れていませんか?疲れ切っていませんか?宗教的なことで燃え尽きていませんか?私のところに来なさい。私のところに逃げ込んで、人生の回復を得なさい。私はあなたに本当の休みを取る方法を教えましょう。私と一緒に歩き、私と一緒に働くのです。私がどう行うか注目しなさい。無理をしない恵みのリズムというものを学びなさい。私はあなたに適合しない重荷を負わせたりしません。私と交わりを保ち、自由で軽やかに生きる生き方を学びなさい。」無理をしない恵みのリズムに気付くことが、私たちが彼の作品であることを発見させてくれます。そうすると、私たちは私たちがどのように造られたか、何のために造られたかを悟り始めます。頑張って、フラストレーションがたまるような人生を終えることができます。私たちは神の運命のリズムの中に入り始めるのです。Robert Hendersonは、かなり前に与えられた預言のことばを思い出しました。「臼ですりつぶして、溝に入れるような人生から、あなたを脱してあげたい」と神さまが言われました。先生は、多くの人たちの人生がそのように頑張る姿であることを理解しました。彼らはただ「すりつぶして」それを出しているだけなのです。しかし、神さまは私たちに、神さまのgroove溝、nicheくぼみの内を生きてもらいたいのです。神さまは私たちが楽で軽い重荷の場所で生きることを願っています。

 私はこの本を読んで、私の人生は「しゃにむに生きるというのが特徴だなー」と思いました。2年間、新宿(にいじゅく)の郵便局でアルバイトしたことがあります。おばさんから「鈴木さん、そんなに頑張らなくても、郵便局潰れないよ」と言われました。目の前の配達物の山を、早く処理しないと気がおさまらない、怪物に挑戦するドンキホーテでした。スキー場に行くと、下ってはリフトに、下ってはリフトに乗ります。すぐリフトに乗らないと損するような気がするからです。私は頭を打ち付けて2回も入院しました。1回目はスキーで転び、2回目は教会のテーブルを分解して片付けるときに起りました。「がー」と勢いでやってしまって、そうなったんです。これは、私の気性であり、性格かもしれません。でも、それは神さまの力をあてにしていない。「自分でなんとかやるしかない。頼れるのは自分だけだ」という「古い人」が残っているという証拠です。つまり、肉です。正直、マタイ11章28節以降は「どん臭い」感じがする聖句です。でも、一度でも燃え尽き、うつ病になった人は、「確かにそうだ」と心の底から同意するでしょう。私も2回も入院したのですから、「イエス様と一緒に、楽で軽い重荷の場所で生きる」生き方を心がけたいと思います。とにかく、前半のポイントは、神さまは私たちを作る前から、ちゃんと「この人にはこれを」、「この人にはこれを」と計画しておられたということです。そのことを書物に書きしるし、私たちがその通り生きられるように、必要なものを備えておられるということです。「そんなのいらないよ」と振り切って、自分の人生をすりつぶして生きるのは愚かなことです。神さまが計画し、予定している私たちの人生を発見し、その道を歩むのが一番です。本では「溝」とか「くぼみ」と書いていましたので、外にはみ出さないように制御して下さるのです。

2.運命の書物

 第二のポイントは「私たちの神の運命の書物」です。日本人には、destinyという考えがないので、計画とか目的に訳してしまいます。洋書を読むと、destinyということばが度々出てきます。クリスチャンの場合は、divine destiny「神の運命」と言うべきでしょうが、とにかく、destinyは運命と訳して進めたいと思います。私たちのために書かれた第二番目の書物は、運命の書物です。この本には、私たちの人生の長さと私たちが成し遂げるべきことが記されています。詩篇139篇には「私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに」と書いてあります。明言されているのが、weeksとか、monthsとか、yearsではないことが興味深いです。この書物はdays日々であり、「私たちの生活の詳細を、明確に」ということです。神さまは、ただ漠然と大きな絵で描き出してはいません。日々の生活で、私たちの書物に書かれたことが成就するように助けたいのです。ですから、私たちは毎日、神さまの目的に沿って生きるように、自分たちをささげるべきです。そこには私たちの運命の一部へと移すような日があります。もし、その日を逃してしてしまったら大惨事に見舞われるでしょう。

詩篇118:22-24には、詩篇の記者が「なぜ、この日は主が作られたか」を述べています。「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。」その日、イエス様は拒絶され、礎の石のようになりました。それは、主がなさった日です。言い換えると、それが定められた時に起ったということです。その日、地上の将来とその住居が変わりました。神さまはあなたのために、日々を持っておられます。それらの日が、あなたを変える戦略的な日であり、すべてのことがあなたの書物に記されています。それらの日を逃してはなりません。それらは神さまのカイロス、決定的な時だからです。ルカ19:43,44で、イエス様はイスラエルの民が、カイロスの時を逃したゆえに起る出来事を示されました。「やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」「時」はギリシャ語ではカイロスです。イスラエルの民はイエスがメシヤであることを認めず、彼らのための訪れの時を逃したのです。紀元後70年、ローマによってエルサレム神殿が粉々に砕かれ、民たちも殺されました。カイロスは「ちょうど良い時、都合の良い時」という意味です。私たちは一般にカイロスを「神さまが定めた危機的な時」と考えます。この時に、あなたはブレイクスルーを経験するか、あるいは、意味ある将来を逃すでしょう。私たちも、彼らと同じように、運命の書物に書いてあることを見逃すことがあり得ます。私たちのために作られたその日を、前もって悟らないこともあり得ます。どうか、私たちが聖霊に敏感になって、わなに落ち込まないように願います。

私は洗礼を受けた1か月後、付き合っていた彼女から別れを告げられました。毎週の礼拝で2か月くらい泣き続けました。12月のある日、部屋を掃除していると、カセットテープのある歌が飛び込んできました。「私は道で、まことで命と、主は私に語りかけた。主の道を歩く、愛と奇跡をこの身におびながら…」。その時、「ああ、私は小さくても良いからイエス様の弟子として着いて行きたい」とその場にひれ伏してお祈りしました。会社では、あることが起りました。社長が外国と交わした契約を簡単に破棄して、「高い値をつけた別の業者に物を売れ」と命じました。クリスチャンである上司は、「このようにして何度も契約を破棄すると、お客さんがいなくなりますよ」と社長に談判しました。社長は「商売というのはこういうものなんだ」と烈火のごとく怒りました。その後、「このようなやり方を続けたら、私たちはこの会社を辞めなければなりません」と言いました。上司はアメリカの神学校に行くと言いましたが、私は「アメリカにコネがないので、日本の神学校で良いよ」と言いました。私は12月いっぱいで会社を辞めて、翌年の3月、東京聖書学院に入学しました。しかし、先輩は、アメリカの友人が留学の手続きをしてくれないので、日本に残り、米軍キャンプのカウンセラーになりました。私を導いてくれた上司ではなく、私が献身して牧師になったのです。決定的な日というのが、ヨハネ14:6のみことばを歌っている賛美を聞いたとき、「弟子にしてください」とイエス様に志願したことです。彼女よりも、英語の仕事よりも、主の道を選ぶことができたのは、すばらしい恵みだと思います。

 詩篇139篇の「私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに」は、私たちの人生の長さについて語っています。ちなみに、「作られた日々」のヘブル語は、「作る」だけではなく、「予定される、あらかじめ定められる」という意味もあります。ですから、英語の聖書はAll the days ordained for meとなっています。Ordainというのは、まさしく、「定める、予定する」と言う意味です。つまり、それらの日々は、私たちの目的や運命と関係していることを伝えています。その書物には、神さまが定めた私たちの人生の長さと、私たちが成し遂げる事も書かかれているということです。私たちの仕事は、私たちの書物に何が書いてあるか見出すことです。私たちが主の前に立った時、どれくらいそれを成し遂げることができたか、裁かれるでしょう。Ⅱコリント5:10「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです」とあります。このさばきは、私たちが良いことをしたかではなく、神さまのことをしかたどうかでさばかれます。つまり、書物が告げている、私たちに割り当てられたことを成し遂げたかどうかということです。Ⅰコリント3章にその日のさばきのことが記されています。Ⅰコリント3:11-15「というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。」私たちの働きが、金、銀、宝石なのか、神の裁きの火で試されます。もし、木、草、わらであるなら「悪い働き」であり、必要ではないということです。それらは良いことかもしれませんが、私たちの書物に書いていない事柄だったのです。ですから、私たちは私たちの書物に書かれているすべてのことを発見し、そこに私たちの情熱を向けて生きるべきです。神の国における私たちの人生の役割が何かを知り、この地において神の目的を果たしたいと思います。

 ダニエル書7章から、私たちの運命の書物と天の法廷との間につながりがあることが分かります。ダニエル7:10「火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。」さばきの座において、幾つかの書物が開かれます。ダニエル書10章には、書物の実現をさまたげるサタンのことが書かれています。ですから、私たちは天の法廷の前に立ち、この書物のとおりになるように願い求める必要があります。ペテロはやがて初代教会のリーダーになる人でした。しかし、サタンは、ペテロが麦のようにふるいにかけることを願って許されました。なぜなら、サタンがペテロの書物に書かれている内容を知っていたからです。イエス様はペテロの信仰がなくらならにように、ペテロために祈っていました。実際、ペテロは誘惑に負けてイエス様を三度も知らないと言いました。しかし、ペテロはイエス様のとりなしで信仰を失わず、立ち直ることができました。私たちもサタンの誘惑に負けて、神さまから与えられている目的を、途中でやめて挫折してしまうかもしれません。私は26歳の12月に「小さくても良いからイエス様の弟子にしてください」と自分を神にささげました。40年、歩みはのろくてもイエス様に従っています。でも、中には途中で躓いたり挫折してしまう人もいるでしょう。サタンがその人に計画されている神の目的を果たせないように邪魔をしたのです。私たちはペテロの時もそうであったように、イエス様が私たちのために天の法廷で、とりなしておられることを忘れてはいけません。ヘブル12:24「さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。」イエス様の血が天の法廷で叫んでいます。そして、イエス様の血が悪魔の告発を黙らせることができるのです。私たちの目的が頓挫するときがあるでしょう。もう一度、私たちの運命の書物を開いて、神さまが与えた成し遂げるべき事柄に目を留めましょう。神さまそのために、この世に生まれる前から、私たちに能力と賜物を与えることを書物に書きとめられました。私たちのために書かれた「本質の書物」と「運命の書物」があります。どうか、聖霊によって霊的な目が開かれ、そこに書かれている内容に目を留めることができますように。神さまは私たちがそのことを果たせるように、良きものをあらかじめ備えておられます。私たちをすりつぶす頑張りではなく、イエス様がくださる負いやすいくびきがきっとあるはずです。そこには恵みというリズムがあります。聖霊様が力を与え、運命を全うさせて下さいます。ステレオの針が、レコード盤の溝を進むように、神さまの導きの中を歩む人生でありますように。