「失敗は成功のもと」とは、「失敗してもその原因を追究したり、欠点を反省して改善していくことで、かえって成功に近づくことができるという」意味です。英語では、Failure teaches success.「失敗が成功を教える」という似たものがあります。私たちは失敗すると「ガッカリして」そこに座り込んで、諦めてしまうことがあります。そうではなく、何故、失敗したのかその原因を究明して、こんどは失敗しないように、さらなる成功を目指せば良いのです。そうすれば、「失敗は成功のもと」ということになります。
1.使徒パウロの例
パウロのアテネでの宣教は、あまり成果が上がりませんでした。これを「失敗」とはっきり言ってしまうと、反論が出るかもしれません。パウロがアテネに宣教に行ったことは、使徒の働き17章に記されています。アテネの町は、偶像でいっぱいでした。そして、エピクロス派とストア派の哲学者たちが広場にいました。パウロはアレオパゴスの真ん中に立って、創造論的なメッセージを語りました。なぜなら、彼らはユダヤ人ではなく、全くの異邦人だったからです。最後に「死者の復活」について話しました。ところが、ある者たちはあざ笑い、他の者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言いました。なぜなら、彼らは肉体のよみがえりには興味がなかったからです。それでも、何名かの人たちが信仰に入ったようです。その後、パウロはアテネを去って、コリントに行きました。まもなく、シラスとテモテがマケドニヤから下って来て、パウロと合流しました。同じ、ギリシヤの国でも、コリントはアテネよりも堕落した町でした。確かにユダヤ人の妨害がありましたが、パウロはそこで1年半、腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けました(使徒18:11)。パウロはその後、エペソに行き、そこで三年近く伝道しました。エペソから書いたのが、コリント第一の手紙です。では、パウロの宣教は本当に失敗だったのでしょうか?Ⅰコリント2:3「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。」とパウロは回想しています。「失敗した」とは言っていませんが、アテネでの成果は思わしくなかったと考えることはできます。
その原因は何でしょう?また、パウロはその後、どのように改めたのでしょうか?第一は、アテネでの宣教はパウロが一人であったということです。イエス様は弟子たちを二人一組で派遣しました。ところが、いろんな事情があって、パウロはたった一人でアテネに入りました。その後、コリントに来たとき、アクラとプリスキラに出会いました。この夫妻は、パウロと同じ、天幕作りをしていました。今後、二人はパウロを助ける同労者となりました。後から、シラスとテモテがマケドニヤから下ってきました。そのことによって、パウロはみことばを教えることに専念することができました。つまり、チームワークが必要だということです。Ⅰコリント12章には「教会はキリストのからだであって、たくさんの異なった器官が互いに助け合うように」という教えが語られています。第二は知的な人たちに語るときです。パウロはアテネの人たちが哲学的な知識を持っていることを知っていました。そのため、彼らに知的なことばでアプローチしました。パウロは「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を要求します」(Ⅰコリント1:22)と言っています。では、どう改めたのでしょうか?Ⅰコリント1:23,24「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」アーメン。パウロは哲学的な知恵ではなく、「十字架につけられたキリストを宣べ伝える」と決意しました。それで、コリントの教会にこのように述べています。Ⅰコリント2:1,2「兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです」私たち説教家は、「人々の知性に訴え、キリスト教の合理性を証明したい」という誘惑に駆られます。そして、知性だけではなく、感情にも訴え、なんとかイエス様を信じてもらいたいと願います。しかし、そこに十字架の贖いがないなら、一旦は信じても、救いに留まることはできません。なぜなら、十字架のことばこそが、救いを受ける人たちには神の力だからです。
第三は、宣教を説得力のあることばではなく、御霊と御力の現れで行うことにしました。Ⅰコリント2:4,5「そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。」日本への宣教は、西欧周りでやってきました。彼らは合理主義の影響を受け、奇跡や病の癒しは過去のものだと考えています。日本の教会は宣教師が教えたことを忠実に守り、「神のことばを宣べ伝えることが王道であり、奇跡や病の癒しは邪道だ!」と考えています。イエス様は何とおっしゃったでしょう?ヨハネ14:11「わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。」イエス様は3つのことを行いました。第一は教え、第二は福音宣教、第三は奇跡と病の癒しです。もし、教会が福音宣教しかしないなら、半分の人たちを失うでしょう。特に知的な人たちは、奇跡というものを信じません。しかし、彼らが、神がおられるということを目の前で見るなら、きっと心を開くでしょう。だからパウロは、「私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。」と言ったのです。つまり、私たちの信仰は、人間の知恵ではなく、神の力に支えられることが必要だということです。このようにパウロはアテネ伝道での反省を踏まえ、異邦人に、自分がどのように宣教していくべきか改めることができました。パウロは使徒として召されていましたが、いろんなことを通して、成長していったということは確かです。聖書で「悔い改める」とは「思いを変える」という意味です。思いを変える原動力になるのが失敗であるなら、それはものすごく建設的なことになります。
2.失敗から学ぶ
私は「弟子訓練とセルチャーチで失敗した。あれはうまくいかなかった」と、しばしば申し上げたことがあります。ところが練馬教会の小笠原牧師がこのようにおっしゃっていました。「私たちは成功から何も学ぶことはないが、失敗から多くのことを学ぶことができる」と。思い起こせば、弟子訓練とセルチャーチで、小笠原牧師と27年間、ご一緒させていただきました。どちらの団体でも、小笠原牧師の子分みたいに、先生をいつも持ち上げ、仕えてきました。セミナーの準備会では、私は「ああだ、こうだ」とアイディアを述べます。最後に小笠原牧師のおことばをいただきました。それで、うまくいっていたと思います。でも、成果は思ったようには上がりませんでしたが、日本の教会に対して、多くのことを共に考えることができました。一番、学んだことは、「日本は難しい」と準備会で、煮詰まったときです。司会の私が「では、5分間、みんなで祈りましょう」と提案します。すると、「こうすべきだ」というテーマが上から降りてきます。そこに、みなさんの意見が出て来て、集会のプログラムが5分もかからずに、できるということです。これはまさしく奇跡であり、そういうことを毎回、経験することができました。ある先生方は「それは失敗ではない」と言いました。でも、私は「失敗だった」と言います。「では、何がどう失敗し、どうすれば良かったのか?」自問自答しました。それがこれです。第一、動機と目標が間違っていたということです。私たちは「教会が成長するため、教会が大きくなるため」にやってきました。でも、聖書のどこにそのようなことが書かれているでしょうか?ありません。「キリストの弟子を作りなさい」「御国の拡大のために働きなさい」というのはありますが、「教会を大きくしなさい」とイエス様はおっしゃいませんでした。教会は御国を来たらせるための手段であり、目的ではないということです。第二は、外国からの方法論を鵜呑みにしてきたということです。アメリカの教会はそういうことが大好きです。日本人は「ああ、そうですか」とそれをマニュアル化します。私たちは日本という文化を尊重しながら、文脈化する必要があると分かりました。そして、方法論よりも、聖書が言っていることを単純に行えば良いということです。
小笠原師の「失敗から多くのことを学ぶことができる」というのは名言だと思います。伝道者の書7:14「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。」しかし、原文には「反省せよ」とは書かれていません。「神さまが良い日と悪い日の両者を造られたということを考えよ」となっています。ということは、それが悪い日(不幸な日)であっても、神さまのご配慮があることを考えよ」ということです。私たちは「悪いことや不幸なことは、さっさと忘れよう」とします。ところがそうではありません。うまくいかなかった事も神の御手にあり、神さまは何かを学んでほしいと願っておられるのです。日本のことわざに「転んでもただでは起きない」というのがあります。この意味は、「どんな事態になっても必ず何か自分の利益になるものを見つけ出すという、欲深い人間のたとえ」という解釈もあります。でも、「失敗から何かを学べ」ということでもあります。なぜなら、そのことも神の御手の中で起ったことだからです。エジソンは、約2,000個ものフィラメントを試し、ようやく低価格で効率的に生産できる「電球」を発明しました。そこに至るまで、気の遠くなるような時間を費やしました。エジソンは、失敗に関して、いろんな名言を残しています。「失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。」「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」インターネットで「科学者は失敗をどう受け止めているか」という文章を発見しました。「求めている結果に辿り着くため、科学者は幾度となく研究を繰り返します。失敗はその過程で起きるひとつの出来事です。むしろ、その失敗から次のステップが見えてくることもあるので、彼らにとっては成功と同じくらい必要であり、ありがたいものなのです。科学者の視点からすると、失敗はあくまでも成功への過程。失敗をしてこそ、『自分の目標に近づく』という認識なのです。そう考えると、ずいぶん気持ちが楽になりませんか?」アーメンです。
テレビで『下町ロケット』の佃製作所、あるいは『陸王』という足袋の物語がありました。共通していることは、失敗しても決して諦めないということです。技術者というものは、失敗を受け止め、そこから改良して、完成品を目指します。しかし、ある会社は、妥協して、データーを改ざんしたりします。そういうものは、長続きしません。それが欠陥品であるなら、後で大きなしっぺ返しを喰らうでしょう。テレビドラマの主人公は、失敗を改良していけば、必ず完成品ができると信じています。私たちが乗っている自動車もいろんなところが改良されて、今があるのかもしれません。それは、スポーツ、料理、人間関係、あらゆる仕事に言えることでしょう。私はパソコンをよく使いますが、「失敗は成功のもとだなー」とつくづく思います。パソコンはとても正直です。真理の塊と言っても過言ではありません。私たち人間は、その人の気持ちを察して、「じゃあ、それでも良しとしましょう」と妥協してあげます。しかし、パソコンは決して妥協しません。こちらが正しく操作するまでは「はい」と従わないのです。そのため、こちらは「何故、動かないのか?」試行錯誤しながら、「ああ、こうすれば良いんだ」と学びます。そして、次からは「こうすればダメで、こうすれば良いんだ」と分かりますので、さらにその先に行くことができます。私たちはあることで失敗すると、「あのことをなかったことにしよう」と土に埋めようとします。確かに、失敗したことによって、いろんなものを失います。時間、お金、信用、家庭、それまでの労力…思い出すのもいやになるでしょう。でも、もし、失敗から何も学ばないなら、それこそ失敗で終わってしまいます。伝道者の書7:14は、「たとい、悪い日、不幸な日であっても、神さまが造られたのだから、良く考えよ」という意味でした。失敗には、かけがえのない宝ものが隠されているのです。少なくとも、「次からなこうすれば失敗しない」ということが分かるでしょう。聖書には失敗を一度もせず、完璧な人は出て来ません。モーセもアブラハムもダビデもペテロも、みんな不完全でした。しかし、全能の神さまが共におられて、万事を益としてくださいました。神さまは私たちの失敗も良きことに用いられます。アーメン。
3.チャレンジ精神
イスラエルの歴史を見て、最大の失敗とは何でしょうか?モーセはイスラエルの民を、エジプトから脱出させることに成功しました。民たちはそれまでたくさんの主の奇跡を見てきました。そして、いよいよ、約束の地、カナンに渡るチャンスが到来しました。ところが、イスラエルは10人の否定的な報告を聞いて、「もうダメだ。エジプトに帰ろう」と泣きながら誓いました。カレブとヨシュアだけがが「主のみこころだったら、占領できる」と主張しました。ところが、イスラエルの民は彼ら二人を石で打ち殺そうとしました。怒った主は、イスラエルの民を約束の地に入れることをしませんでした。彼らは40年間、荒野を放浪して、屍をさらすことになりました。40年後、新しい世代が、改めてカナンの地に入るチャンスが訪れました。そのとき、たった二人、カレブとヨシュアが生き残って、約束の地に入ることができました。かなりの領地を占領していく中で、カレブは何と言ったでしょう?ヨシュア14:10-12「今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」
カレブはあえて、難しいことにチャレンジしました。かつて、イスラエルが失敗したことに再挑戦して、それを克服したいと願ったのです。あのとき、10人のスパイが、「私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう」(民数記13:32,33)と言いました。カレブは、神の民がいなごにたとえられて、さぞ悔しかったでしょう。あれから45年以上たっても、カレブの情熱は冷めていませんでした。何と彼は85歳でした。85歳だったら、隠居して、盆栽でもいじっても良い年です。過去のことを懐かしんで暮らしてもだれも文句を言わないでしょう。でも、カレブにはどうしても成し遂げたいことがありました。それは、あのとき断念したことを、今、克服したいという強い願いがありました。「年寄りの冷や水」と言われても構いません。信仰と情熱さえあれば、年など関係がありません。アーメン。ある人たちは失敗と挫折に、40年間も座り込んでいます。40年は試練の年です。一度、チャンスを失ったら、40年も回り道してしまうというのが聖書の真理かもしれません。しかし、カレブのあのときの信仰と情熱は冷めていませんでした。何とか、過去の失敗を取り返したいと願ったのです。主は「あっぱれ!」と喜んだに違いありません。カレブはあのときのアナクの子孫、巨人たちを倒して領土を獲得しました。
ロバート・シュラー牧師は「私は、何も試みないで成功するよりも、むしろ何か偉大なことを試みて失敗したほうが良い!」と言っています。同師の著書からの引用です。「何か偉大なことに挑戦して失敗することは、あなたがこの世で行いうる最も偉大なことの一つなのである!私は、このようにあえて挑戦した人々に会うのが好きである。毎年授与される国民賞―「本年度の最も光輝ある失敗者賞」とでも名付けるべき賞を作ることができたらと、私はしばしば考えたものである。私はそれを、圧倒的な障害に勇敢に挑戦し、敗れた男女、少年少女に贈るだろう。もちろん、実はこのような人々は、全然失敗者なのではないのである!彼らは人間としては、むしろ面目をほどこした成功者なのだ!なぜならば、失敗とは彼らの目標を達成することの失敗を意味するものではなくて、真の失敗とは、自分が可能なはずの高さに到達することができなかったことを言うことであるからである。はっきりした失敗を経験するまでは、誰にも、自分が成功したのだということは分からないはずである。棒高跳びの選手は、バーをおっことすまでは、自分が可能なはずの高さにまでジャンプしたことが分からないのと同じことである。失敗するまで目標を上げ続けることだ!そのようにしてはじめて、自分は自分のピークに達したことが分かるのである。一見失敗したと思われるときこそ、本当は成功したのである。
ジョエル・オスティーンのお父さん、ジョン・オスティーンは綿花農園で生まれました。その頃、大恐慌が襲い、一家は貧しさのどん底でした。17歳のとき、イエス様を信じて、伝道者になりたいと志願しました。周りの人たちは、「無謀なことはやめて農園で働きなさい」と言いました。彼は18歳で結婚し、19歳で離婚することになりました。教団の人たちから「彼は教役者としてもうおしまいだ」と言われました。それでも彼はめげないで伝道し続けました。35歳のとき、現在の奥さんと出会いました。彼女は病院の看護師で、先生は毎日のようにその病院にお見舞いに行きました。彼女は「牧師先生の教会にはたくさんの入院患者がいるのね」と不思議に思いましたが、そうではありませんでした。やがて、二人は結婚しました。やがて教会が1000名くらいになり、新会堂が建てられました。同じ頃、最初の娘リサが生まれましたが、脳の神経に麻痺がありました。お医者さんは、「この子は、満足にしゃべることも、歩くこともできない。一生、車いすの生活だろう」と言いました。ところが、ジョン・オスティーンは聖書を読んでいて、病の癒しがあるということを発見しました。さらに、聖霊のバステスマを強調しました。そのため、彼は、南部バプテストから総スカンを喰らい、その教会を去ることになりました。家畜の飼料を売っていたおんぼろの建物を借りて、90名から再スタートしました。1980年には数千名の教会に成長していました。世界宣教を行う、カリスマティックな教会として全米から認められました。先生は16年間テレビ伝道を行い、1999年(77歳)で天に召されました。その後、一番下の息子、ジョエル・オスティーンが後を継ぎました。彼はその教会のテレビカメラマンであり、神学校を出たことがありません。それでもその教会は成長し続け、現在2万名の教会員を持つ教会になっています。まさしくジョン・オスティーンは数々の失敗から立ち上がった私たちの見本です。