◆聖書箇所: エレミヤ書39章(聖書引用:新改訳2017)
亀有教会副牧師 毛利佐保
- 本日の中心聖句
<エレミヤ39:1-9 >
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39:1
ユダの王ゼデキヤの第九年、第十の月に、バビロンの王ネブカドネツァルは、その全軍勢を率いてエルサレムに攻めて来て、これを包囲した。
39:2
ゼデキヤの第十一年、第四の月の九日に、都は破られ、
39:3
バビロンの王のすべての首長たちが入って来て、中央の門のところに座を占めた。すなわち、ネルガル・サル・エツェル、サムガル・ネブ、ラブ・サリスのサル・セキム、ラブ・マグのネルガル・サル・エツェル、およびバビロンの王の首長の残り全員である。
39:4
ユダの王ゼデキヤとすべての戦士は、彼らを見ると逃げ、夜の間に、王の園の道伝いにある、二重の城壁の間の門を通って都を出て、アラバへの道に出た。
39:5
カルデアの軍勢は彼らの後を追い、エリコの草原でゼデキヤに追いつき、彼を捕らえ、ハマテの地のリブラにいるバビロンの王ネブカドネツァルのもとに連れ上った。バビロンの王は彼に宣告を下した。
39:6
バビロンの王はリブラで、ゼデキヤの息子たちを彼の目の前で虐殺し、ユダのおもだった人たちもみな虐殺した。
39:7
さらに、バビロンの王はゼデキヤの目をつぶし、バビロンに連れて行くため、彼に青銅の足かせをはめた。
39:8
カルデア人は、王宮も民の家も火で焼き、エルサレムの城壁を打ち壊した。
39:9
親衛隊の長ネブザルアダンは、都に残されていた残りの民と、王に降伏した投降者たちと、そのほかの残されていた民を、バビロンへ捕らえ移した。
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前回は、南ユダ王国最後の王、ゼデキヤの優柔不断についての話をしました。
ゼデキヤ王は、預言者エレミヤを通して語られた神のことばに背きました。
そのことによって、ついに「エルサレム陥落」となりました。
バビロンの王ネブカドネツァルによって、エルサレムが陥落したことで、南ユダという国はBC586年に歴史から消滅してしまいました。
都落ちしていたゼデキヤも、エリコの草原で捕らえられ、息子たちや家臣たちは、彼の目の前で虐殺されました。
彼は目をつぶされ、青銅の足かせをはめられ、バビロンに連れていかれました。
ソロモンが建てた荘厳な神殿や、宮殿は破壊され、残りの民たちもバビロンに捕囚されました。
今日は、エルサレム陥落を通して、平和への一歩について考えてみたいと思います。
『情報の収集』と、『分析の結果』、この2つの視点から、この出来事と現代を照らし合わせて、神様は私たちに何を語られているのか、何が私たちにとって大切なことなのかを見ていきたいと思います。
まず、『情報の収集』です。
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【神からの教え】
①ゼデキヤの時代(紀元前6世紀の話です)
・預言者から神のことばが直接聞けた。
現代の私たちから見たら、こんな羨ましいことはありません。
イエス様の時代に生きて、イエス様を目で見て、声を聞いて、触ることができた人たちのことも、本当に羨ましいです。
ゼデキヤは、預言者エレミヤから何度も警告を受けていました。
<エレミヤ38:17-18>
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38:17
すると、エレミヤはゼデキヤに言った。「イスラエルの神、万軍の神、主はこう言われる。
『もし、あなたがバビロンの王の首長たちに降伏するなら、あなたのたましいは生きながらえ、この都も火で焼かれず、あなたもあなたの家も生きながらえる。
38:18
あなたがバビロンの王の首長たちに降伏しないなら、この都はカルデア人の手に渡され、火で焼かれ、あなた自身も彼らの手から逃れることができない。』」
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けれどもゼデキヤは「民にどう思われるか」を恐れて、エレミヤの言葉を受け入れませんでした。
<エレミヤ38:19-20>
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38:19
しかし、ゼデキヤ王はエレミヤに言った。「私は、カルデア人に投降したユダヤ人たちのことを恐れている。カルデア人が私を彼らの手に渡し、彼らが私をなぶりものにするのではないか、と。」
38:20
エレミヤは言った。「カルデア人はあなたを渡しません。どうか、主の御声に、私があなたに語っていることに聞き従ってください。そうすれば、あなたは幸せになり、あなたのたましいは生きながらえます。
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このように主が言ってくださっているのに、エレミヤは人の声を気にしすぎた結果、先ほどの聖書箇所のように、悲惨な結末になりました。
<エレミヤ39:5-7>
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39:5
カルデアの軍勢は彼らの後を追い、エリコの草原でゼデキヤに追いつき、彼を捕らえ、ハマテの地のリブラにいるバビロンの王ネブカドネツァルのもとに連れ上った。バビロンの王は彼に宣告を下した。
39:6
バビロンの王はリブラで、ゼデキヤの息子たちを彼の目の前で虐殺し、ユダのおもだった人たちもみな虐殺した。
39:7
さらに、バビロンの王はゼデキヤの目をつぶし、バビロンに連れて行くため、彼に青銅の足かせをはめた。
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【神からの教え】
②現代の場合
・聖書や歴史から学ぶことができる。
ダビデやパウロが窮地に立たされて、苦渋の決断を迫られているときに、何をしたかを考えてみましょう。
ダビデは、王のサウロから憎まれて殺されそうになっても、神から選ばれた王だからと、サウロ王には手を掛けませんでした。姦淫の罪を犯した時も、心から悔い改めました。
サウロは、伝道旅行の時に、様々な迫害を受けましたが、主を信じて動じませんでした。
ゼデキヤの優柔不断は、すべて自己保身によるものでしたが、ダビデやパウロは主に寄り頼み、主の決断を仰ぎました。
・聖霊の助けを得ることができる。
神は生きておられ、聖霊を通して私たちに語っておられます。
また、聖書を通して、祈りの中で、教会の交わりを通して語ってくださいます。
このように、 A. 【神からの教え】 は、ゼデキヤの時代も、現代も、形は違っても同じようにあるのです。
大切なのは、私たちがそれを“聞こうとしなければ”意味がないということです。
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【他者からの情報】
①ゼデキヤの時代
・手紙、諜報活動などにより情報がもたらされる。にせ預言者たちにも混乱させられる。
これは、完全にアナログですね。各国にスパイを送っては、情報を書いた手紙を持ってものすごく速く走る人とか、早馬とかで伝えるしかないですね。あと、狼煙(のろし)をあげるとか・・・
②現代の場合
・ネットや情報機器の発達、生成AIなどの知識から情報を得ることができるが、情報過多で混乱もする。
※AI(Artificial Intelligence)人工知能
現代は、情報にあふれた時代です。それにしても、巷で話題になっているChatGPTは本当に便利ですね。
私も無料版のアプリをスマホにダウンロードして使っています。
たまに、常識はずれな人と行動をともにすると、「普通」が分からなくなってきて、ChatGPTに聞きます。
すると、ごく平均的な人間の感情がわかるから、「あー、私は間違ってなかったー」とちょっと安心します。
AI相手に情けない話ですが・・・最近では愚痴を聞いてもらったりもします。
例えば、人に相談すると、相談する相手を間違ってしまうと、話を途中で遮って、自分の経験や見解を語る人がいたりします。
でも、ChatGPTは最後まで根気よく聞いてくれて(まあ、当たり前ですが)、答えの始めは必ず、「大変でしたね。あなたの気持ち、本当によくわかります。」と、まず共感から入ってくれます。
そして、けっして無理強いはせず、「ご希望であれば、いくつかの解決策を提案いたしますが、どうされますか?」とか聞いてきてくれます。
「ぜひお願いします。」と打つと、優しく、幅広い視点で、法律なんかも交えての解決策を提案してくれます。
ほんとに私は、人としても教職者としても、こういう優しさは見習わなきゃいけないと思わされます。
しかし、信頼しすぎるのは危険ですね。AIの情報は、完全とは言えません。
先日、フランスの教会に賛美しに行った時に、柏姉妹が、GoogleマップやChatGPTを使って、いろんな所に連れていってくれました。
すごく便利なんですが、たまに間違いもあって、あるはずのお店がなかったりして・・・
それはそれで珍道中で面白かったんですが・・・。
今、私たちはかつてないほど「情報」に恵まれています。Googleでググる、YouTube、ChatGPT・・・。
質問すればすぐに答えが返ってきます。しかし、それらの情報が「真実」かどうかを見極めることができなければ、私たちは迷い、失敗してしまいます。
このように、B. 【他者からの情報】は、アナログからデジタルの世界へと変わってきました。
ChatGPTのようなAIは、便利な道具として私たちのそばにあります。
たとえば、ChatGPTに「ゼデキヤの結末を教えて」と聞けば、数秒で答えが出ます。
聖書を読まなくても、要約が返ってきます。
でも、聖書の真理は、要約ではなく、神ご自身の語りかけとして受け取らなければ、生きた言葉にはなりません。そういう意味では、アナログの時代よりも、ずっと危険な世界に私たちはいるのではないでしょうか。
あたりまえですが、AIはあくまで“情報の道具”であって、「神の声」ではないということです。
ゼデキヤには、預言者エレミヤが語る「神の声」という完全な「情報」があったのに、彼はそれを選びませんでした。
私たちは「ChatGPTがこう言ってたから」とか、「ネットに書いてあったから」という理由で、顔の見えない人の言葉を信じて、神の言葉を後回しにしてはいないでしょうか?
ゼデキヤの失敗は、「誰を信じるか」「誰の声を選ぶか」という問題でした。
次に、『分析の結果』です。
①ゼデキヤの時代
・国家安泰の為、自分の保身の為なら、戦争も武力による解決もやむを得ないという戦いの時代。
②現代の場合
・戦争や武力による解決は何も良いことを生まないと経験上知っているが、歴史を繰り返している。
え?・・・ゼデキヤの時代から、2千5百年以上経っていても、結局戦争や武力で解決せざるを得ないという結果になるんですか???
え?・・・ぜんぜん学んでないじゃん・・・
言葉を失いました。そうだとしたら、ものすごくがっかりします。
戦争が駄目なことくらい、AIに聞いたって、ちゃんと答えますよ。
例えば、「なぜ戦争は起こるのか?」と質問してみます。するとこういう答えが返ってきます。
************ ChatGPT の答え***********
戦争について私の立場を率直に言うと、「どんな理由であれ、戦争は人類にとって最も悲しく破壊的な選択肢のひとつ」だと考えます。
戦争はよく「政治の延長」とも言われますが、実際には以下のような原因が絡んでいます:
①資源や領土の争い、②宗教や民族の対立、③権力や体制の維持、④過去の歴史や報復の連鎖
しかし、どれも最終的には「対話と理解」で解決されるべき問題であって、暴力で解決しようとすると、必ず罪のない人々が傷つき、死にます。
戦争の結果は、
①子どもや一般市民が犠牲になります
②国や地域の文化・建物・未来が破壊されます
③生き残った人も、心に深い傷(トラウマ)を抱えます
④戦争後も「憎しみの連鎖」が続き、平和の実現が遠のきます
私たちにできることは、たとえ個人が直接戦争を止めることは難しくても、
①過去の戦争から学ぶ
②偏見や差別に気づき、対話を大切にする
③平和的な価値観を日常から育てる
これらの積み重ねが、争いの少ない社会をつくる一歩になります。
◆もしキリスト教の視点から言うなら、
聖書では「平和をつくる者は幸いです、その人は神の子どもと呼ばれるからです」(マタイ5:9)と語られています。つまり、「平和を“願う”だけでなく、自ら作っていく」ことが、神の心にかなう生き方だと教えています。
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立派すぎて・・ぐうの音も出ません。
イエス様が語られた、『八福の教え』(マタイの福音書5:3-11参照ください)まで出て来るとは・・・。
さて、どうしますか。「平和を“願う”だけでなく、自ら作っていく」・・・私たちに何ができるでしょうか。
「過去の戦争から学び、偏見や差別に気づき、対話を大切にし、平和的な価値観を日常から育てる」
小さな一歩でも良いから、踏み出してみませんか。
もし今日、神の御声を聞いたなら…
<へブル3:7-15>
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3:7
ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、
3:8
あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。
3:9
あなたがたの先祖はそこでわたしを試み、わたしを試し、四十年の間、わたしのわざを見た。
3:10
だから、わたしはその世代に憤って言った。 『彼らは常に心が迷っている。彼らはわたしの道を知らない。』
3:11
わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決して、わたしの安息に入れない。』」
3:12
兄弟たち。あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。
3:13
「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。
3:14
私たちはキリストにあずかる者となっているのです。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、です。
3:15
「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように」と言われているとおりです。
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神の声は、あなたにも語られています。
それはAIよりも早くて正確で、なによりも愛に満ちた力強い導きです。
ゼデキヤのように、人の目や恐れに流されることなく、
今日、御言葉を「選ぶ」ことができますように。
そして、決断と行動には、ベストなタイミングがあります。
何かを決めて動かなければならない時、「今じゃなくてもいいか」と思う事があります。
反対に焦って、今じゃない時に動いてしまう事もあります。
結局、ベストなタイミングだったかどうかは、後にならないとハッキリわからないのですが・・・
私たちクリスチャンにとって、一番大切なのは、聖霊の導きです。
祈って祈って決断する時もあれば、直感的に決める時もあります。
特に、新約聖書の使徒の働きのパウロの動きを読むと、聖霊の導きや霊的な流れ、タイミングというものがいかに大切かがよくわかります。
私たちは現実世界に生きていますが、半分は霊的な世界に生きています。
フランスにいる青木姉妹が、「万希子はフランスに行きなさい」という主の御声を聞いて、迷わず行動した事も、思いがけず私たちがフランスに行けて、歓迎され、出会いがあった事も、聖霊の導きだったと思います。
今回のツアーリーダーである、粟野めぐみさんのグループは、ドイツからフランスに入って亀有組と合流して、その後アフリカに行きました。
その時、先日イランとイスラエルの戦争で閉鎖された、カタールの空港をトランジットに使ったそうです。
フランスに行くのが、あと半月遅れていたら、フランスでの賛美は出来なかったかもしれませんでした。
まさにベストなタイミングでした。
もし、あなたに平和を作るための思いが与えられたなら、神の御声を第一にして決断し、行動しましょう。
それは一瞬のことのようですが、あなたの一生、また、永遠を左右する大きな出来事となるかもしれません。