2025.6.8「勢いの法則 使徒の働き5:12-16」

使徒の働き2章から5章までは、迫害と主のみわざが一緒に起きている初代教会の様子を見ることができます。教会では「リバイバル」ということをしばしば言います。revivalは、生き返り、復活という意味のほかに復興、再流行という意味があります。良く使われるのが、昔の歌が再びはやり出すことです。これをキリスト教会で言うとどうなるでしょう?使徒の働き2章から5章に起きていたようなことが、再び起こるようにという願いです。宗教改革をはじめ、これまで大きなリバイバルが世界各地に起こりました。このリバイバルに伴うのが「勢い」です。

1.初代教会の勢い

 使徒の働き2章の始めに記されていますが、120名の弟子たちの上に聖霊が下りました。一同は聖霊に満たされ預言や異言を語り出しました。聖霊降臨にともなう天からの風の響きで集まった人たちが、120名の異様な様子を見て驚きました。人々は「発酵していない安いぶどう酒で酔っているのだ」と馬鹿にしました。その時、ペテロが立ち上がりみんなの前でメッセージをしました。「私たちが預言をしているのは、ヨエル書で預言されていた成就なのだ」と言いました。そして、先ごろ亡くなられたイエスが本当はメシアであって、贖いを成し遂げたあと、よみがえられたことを詩篇や預言書から証明しました。人々は心を刺され、「救われるためには何をしたら良いでしょう」とペテロに尋ねました。ペテロは「罪を悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい「と勧めました。そうすると、3,000名の者が仲間に加えられました。しかし、それでも勢いは止まらず、「美しの門」でペテロが生まれつきの足の不自由な人を癒して立たせました。集まった人たちに、「これは私の信心ではなく、イエスの御名がそうさせたのだ」と言いました。そうすると5,000人の人たちがさらに救われました。そのことに危機感を覚えたのが、当時の宗教指導者たちです。ペテロとヨハネを捕らえ、議会に立たせました。彼らは「何の権威によって、だれの名によってあのようなことをしたのか」と尋問しました。しかし、ペテロは「あなたがたが十字架につけた、ナザレ人イエス・キリストの名によるのです。…この方以外には、だれによっても救いはありません」と答えました。彼らはペテロとヨハネの大胆さに驚きました。この後、「イエスの名によって語ることも教えることも、一切してはならない」と脅しました。しかし、弟子たちは迫害を恐れず、福音を宣べ伝え続けたのです。

 この後、エルサレム教会はステパノのことで大迫害を受け、世界中に散らされてしまいます。しかし、今お読みいただいた箇所は、エルサレム教会のピーク、最も勢いがあった箇所です。もう一度お読みいたします。使徒5:12-16「さて、使徒たちの手により、多くのしるしと不思議が人々の間で行われた。皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた。ほかの人たちはだれもあえて彼らの仲間に加わろうとはしなかったが、民は彼らを尊敬していた。そして、主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢になった。そしてついには、病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせて、ペテロが通りかかるときには、せめてその影だけでも、病人のだれかにかかるようにするほどになった。また、エルサレム付近の町々から大勢の人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人々を連れて集まって来た。その人々はみな癒やされた。」このところで、最も注目したいのが、「ペテロの影」です。人々が病人を寝台に載せて、ペテロの許に連れてきました。ペテロが直接手を置いたのではありません、なんとペテロの影で癒されたのです。これと似た話が、使徒19章のパウロです。使徒19:11-12「神はパウロの手によって、驚くべき力あるわざを行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを、持って行って病人たちに当てると、病気が去り、悪霊も出て行くほどであった。」パウロが手を置いて直接癒したのではなく、パウロの手ぬぐいや前掛けです。おそらく、人々はそれらを手に携え、病人たちに当てたのだと思います。これもすごいですね。リバイバルが頂点に達すると、陰でも、手ぬぐいや前掛けでも癒されるということです。「手当たり次第何度でもできる」という感じがします。これは聖霊の波に乗っている状態です。初代教会の聖霊の波が、もう一度起こるようにというのが「リバイバル」であります。この聖霊の波が過去の歴史において度々ありました。最も有名なのが16世紀の宗教改革です。ルター、カルヴァン、ツイングリ、ジョン・ノックスが有名です。その後、イギリスのジョン・ウェスレーの聖めのリバイバルです。リバイバルはアメリカに飛び火して、第一次、第二次、第三次とリバイバルが起こりました。第三次というのは、DL.ムーディのリバイバルです。彼はシカゴの靴屋のセールスマンでした。ろくに学校を出ていないのに、聖霊がペテロのように彼を用いたのです。彼の働きで、メソジスト派、バプテスト派、長老派の三大教派がリバイバルの恩恵をうけました。彼に反対した教派は恩恵を受けませんでした。

 リバイバルの原点は初代教会であり、それが使徒2章から5章に記されています。その後、パウロによってコリントやエペソ、ローマへと福音が運ばれリバイバルが起こりました。私は1979年救われましたが、リバイバルが世界各地に起こっていました。韓国にリバイバルが起こり、ソウル市は30%のクリスチャン人口になりました。2回くらい韓国に行きましたが、夜、飛行機が着陸するときソウル市街を見ることができました。赤い十字架のネオンがあちこちに見えました。町を歩いていても、たくさんの教会がありました。その後は中国にリバイバルが起こり、日本から聖書を秘密裏に運んだ勇気ある人たちもいます。アルゼンチンにも、そしてアフリカでもリバイバルが起こりました。アフリカではラインハルト・ボンケによって7,000万人が救われたと言われています。アメリカの各地に聖霊の働きが顕著に起こるリバイバルが起こりましたが、日本の福音派は二つに分かれました。1つはリバイバルの祝福にあやかりたい人、もう1つはそれを危険視する人たちです。その頃、癒しや預言、しるしと奇跡が起こったので、合理主義の影響を受けたキリスト教会の牧師たちがそれを拒絶したのです。考えてみると、「初代教会は癒し、悪霊追い出し、目ざましい奇跡が起こっていたのに何故だろう?」と思います。問題は彼らが信じていた神学だったのです。聖書が完成した今の時代は、目覚ましい奇跡やしるしは不要であると考えたからです。リバイバルが来たとき聖霊の波に乗る人と、乗れない人が起こるということです。

2.勢いの法則

 第一のポイントではリバイバルの原点である初代教会のことを取り上げました。その後、いくつかリバイバルが起こったということも申し上げました。第二のポイントでは、私たちの人生におけるリバイバルです。これを「勢い」という呼び名に変えたいと思います。勢いは英語で、momentumと言います。momentumは、勢いの他に、はずみ、推進力という意味があります。哲学的にmomentは特定の時機、機会、契機という意味があります。キリスト教会では〇〇運動と言う風に言います。「リバイバル運動」とか、「ペンテコステ運動」「セルチャーチ・ムブメント」とか、言います。ですから、「勢い」とか、「ムーブメント」、あるいは「波」というのを1つのものとしてとらえていただきたいと思います。リバイバルが大きな波であるなら、勢いやムーブメントは小さな波ということができます。怖いたとえですが、地震が起きたあと、余震が起こるのと同じです。過去の歴史の中で大きなリバイバルもありましたが、その間にも小さなリバイバルもあったということです。後から、「あれもリバイバルだったなー」と言う訳です。日本で言うなら、フランシスコザビエルによるキリシタンのリバイバルがありました。九州や山口では多くの大名や家臣たちがキリストを信じました。明治の開港のときも、フルベッキやブラウンのリバイバルがありました。多くのミッションスクールが立ちました。昭和の初期もホーリネス運動によるリバイバルがありました。これは私の意見ですが、1993年に起きた滝元明師のものもリバイバルではなかったかと思います。甲子園球場や日本武道館でリバイバル集会がありました。しかし、内部から反対者が起こり、その火はすぐに消えてしまいました。リバイバルはすばらしい業も起こりますが、変なことも起こります。リバイバルはカオス(混沌)であり、良いものと悪いものが一緒にやってくるようです。教会の規律や伝統を守ろうとする人たちが、真っ向から反対します。本人は正義感でやっているのでしょうが、結果的にはリバイバルの火を消してしまうのです。

 話題をもう一度「勢い」に戻したいと思います。最近(2022.11)ジョン・マックスウェルの「リーダシップ21の法則」という本を読みました。その中に「ビッグモーの法則」」というのがありました。原書は”Low of the Big Mo”なのですが、モーというのは、momentum 「勢い」とう意味です。ビッグモーとなると、「大きな勢い」となります。ジョン・マックスウェルは、「大きな勢い」を、コンピュータ・アニメーションを最初に手掛けた「ピクサー」のことを上げていました。私はその本を読んで、人生は「勢いの法則」に満ちていることを発見しました。受験勉強を寝ないでやった10代の頃は勢いがありました。仕事でも大きなプロジェクトを勢いでやったのではないでしょうか?子育てもまさしく勢いです。孫の面倒を見るときがありますが、「あのときは無我夢中だったなー」と振り返ることができます。マンションや家のローンを必死に返すのも勢いでしょう。当亀有教会のこの会堂は備品を含めて全部で1億4000万円かかりました。積み立て時はバブルの絶頂期で、建築を始めたときはバブルが崩壊しました。金利が8%の時もあったので、利息が合計2000万ありました。この会堂はまさしく「勢い」で建てたという感じです。野球を見ていると、流れというものを重要視するようです。「表で点数を取られたら、裏で点数を取り返さなければならない、そうでないと相手チームを勢いつかせるから」と解説者がよく言います。ジョン・マックスウェルはこう述べています。「結局のところ、勢いはリーダーの最良の友なのです。それは、勢いがあるかないかで、負けるか勝つかが決まるからです。勢いがないと、どんなに簡単な仕事でも不可能に思えてきます。」私は彼の本から、リーダーは「勢いの波に乗る決断をすることが重要だ」と思いました。リバイバルは大きな波、大きな勢いです。ある人がそのことをサーフィンにたとえて言いました。「人間は波を起こすことはできない。ちょうど良い波が来たなら、それをつかまえて乗ることだ。そして、できるだけその波に長い間乗っていることだ」と。

私は亀有教会に赴任して35年たって、「いろいろやったけど、うまくいかなかった」と失望落胆しました。2017年1月セルチャーチをやめました。ついでに、常磐牧師セルからも離れました。その時は失望落胆の沼にはまりかけていました。幸い、ジョエル・オースチンの希望のメッセージで助けられました。その後、頭を打って2回手術しました。退院後、キャロライン・リーフ師の脳に関する本を読み、それを翻訳することになりました。実はそれが私の第三のターニングポイントであることが分かりました(第二は25歳の時の洗礼)。それから、ビル・ジョンソン、クリス・バロトンなどの本を次々に翻訳して小冊子を作り出しました。でき次第、大和カルバリーの大川牧師とスタッフに送りつけました。先生からお褒めの言葉をいただき、説教でも引用してくださいました。現在(2025年6月)100冊位訳しましたが、きょうのメッセージで悟ったことがあります。亀有教会に赴任したときは「小牧者訓練会」という弟子訓練にはまりました。約10年間、実行委員として携わりました。2000年に「コントロールが強すぎる」とみんなで辞めました。2010年に指導者のスキャンダルが発覚しましが、その当時の実行委員は大変だったと思います。私はその前に小笠原牧師と一緒にセルチャーチに加わっていました。石原良人牧師とかエディ・レオ師に出会いました。最後は香港のベン・ウォン師が「コーチング」を指導してくださいました。しかし、彼が説く『教会の7つの本質』が納得いきませんでした。私はセルチャーチのムーブメントが過ぎ去ったのではないかと思いました。私は失望落胆しましたが、今は考えを変えました。私は10年間、弟子訓練の波に乗ったのです。それが過ぎたので、今度はセルチャーチの波に乗りました。20年間乗っていました。でも、その波はもうなくなってしまったのです。

 このように考えたら、「失望落胆する必要はないなー。次の新しい波に乗れば良いのではないか」と思うようになりました。もちろん、今でも弟子訓練やセルチャーチの波につかまっている牧師たちがいます。他にもいくつか似たような波があります。イエス様は「空模様を見分けることを知っていながら、時のしるしを見分けることはできないのか」(マタイ16:3)と言われました。また、伝道者の書3章には「保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある」と書かれています。そうです。私たちは波を起こすことはできませんが、神さまが起こしてくださる波を捕まえて乗れば良いのです。そのためには、時を見分ける能力が必要だということです。

3.今後の勢いの波

 今まで過去のことを取り上げましたが、今後のことを考えて行きたいと思います。私は新型コロナウイルスのゆえに、3年間のデピュテーションを取ることができました。調べたところ、デピュテーションとは宣教師が自分の召命と宣教地への重荷を示すため、母国の諸教会を廻って歩く旅行に関することです。早く言えば、長期休暇であります。2017年1月セルチャーチをやめました。その時は失望落胆の沼にはまりかけていました。その後、頭を打って二度手術しました。それで、キャロライン・リーフ師の脳に関する本を読み、それを翻訳することになりました。2019年に大川牧師をお招きして、創立70周年記念礼拝を持つことができました。なんと、その12月から新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が始まりました。日本では翌年の2020年1月から出始め、5月にはまさに、パンデミックとなりました。当教会では礼拝を何回かビデオで行いました。新型コロナウイルスは形をいろいろ変え、2022年12月はオミクロン株が主流になっています。3年たっても収まりそうもありません。すべての伝道活動に影響を及ぼしてしまいました。私はそういう中で、デピュテーション(長期休暇)を取ることができました。もちろん、礼拝メッセージや小さな集会はやり続けましたが、気持ち的には長期休暇、軍隊用語では「リトリート(退去)」です。それはどのように働いたのでしょうか?

 私はキャロライン・リーフ師の脳の本を皮切りに、たくさんの洋書を読むようになりました。そればかりか、本を翻訳した後、小冊子にしました。これでは、洋書一冊も読破したことのない私でしたが、65歳から急に目覚めてしまいました。では、どんな本を読み、訳しているかというと、ベテル教会のビル・ジョンソン系です。ビル・ジョンソンを読んでいると、彼が推薦している本が出てきます。今度はそれをアマゾンで購入して読むのです。今、神さまから用いられている色んな先生の本を読むことがきました。本当はレディングの超自然ミニストリー神学校に出席したいのですが、それができません。それなら、代わり本を読んで勉強しようと思ったのです。さて、その真の目的とは何でしょう?ベテルチャーチは今、リバイバルの真最中です。超自然ミニストリー神学校には世界中から2000人の生徒たちが学びに来ています。ある時、スイスの牧師が教会をやめて、学んでいるのを知りました。ケビン・デドモン牧師も長年勤めていた教会をやめて、レディングに引っ越して神学校で勉強しました。その後、奇跡としるしを行う指導者になりました。私が望んでいるのは、ベテル教会のリバイバルの波に乗るということです。これまで弟子訓練の波、セルチャーチの波に乗ってきました。でも、それらの波はなくなりました。そして、今、勢いに乗っているのは、ビル・ジョンソンが指導しているレディング・ベテル教会の波です。大川牧師は2022年8月その教会から招待を受けて1か月くらい学びに出かけました。日本に帰国後、倒れて入院してしまいました。先生と電話したとき、私は「先生にもし何かあったら、本を訳して差し上げることができなくなります」と言いました。その後、先生は回復し、私が訳した本を読んで下さっております。「何冊も訳してすごいなー、尊敬するよ」とほめられています。

 さて、どうしてビル・ジョンソンが指導しているレディングのベテル教会のリバイバルがすばらしいのでしょうか?まるで私が流行にただ乗りたいだけの、ミーハー牧師だと思われるかもしれません。確かにこれまで、「リバイバルにあやかりたい、あやかりたい」と思ってやってきました。つまり、自分は何も苦労せず、人の尻馬に乗るようなセコイ牧師でありました。「良いものを他から借用する」というところが、確かにあります。でも、何故、レディングのベテル教会なのでしょうか?ビル・ジョンソンは使徒であり、クリス・バロトンは預言者です。聖書においては、ペテロやパウロは使徒でした。でも、新約聖書ではイエス様の12弟子だけではなく、教会においても使徒や預言者がいると書かれています。ほとんどの教会は、聖書が完成した今は、使徒と預言者はいないと考えています。奇跡としるしは、今はもう必要ないと言うのと同じです。そうではありません。二箇所だけ聖書を開きます。エペソ4:11,12「こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。」このところには、はっきりと五つの教職の存在が記されています。もう一か所はⅠコリント12章です。ここは御霊の賜物が記されていますが、さらにこういうことが書かれています。Ⅰコリント12:28「神は教会の中に、第一に使徒たち、第二に預言者たち、第三に教師たち、そして力あるわざ、そして癒しの賜物、援助、管理、種々の異言を備えてくださいました。」ここで言われている注目すべきことは、「神は教会の中に、第一に使徒たち、第二に預言者たち…を備えた」ということです。これは過去のことではなく、主が再臨するまで続く事柄です。現代の教会は使徒と預言者が不在の教会です。その代わり、教団教派が教会を指導しています。残念ながら、現在の教団教派は過去に起きたリバイバルから生まれたものです。彼らは何とか先人たちの偉業を維持して行こうとしています。でも、古い革袋なので機能していません。

これから必要なのは使徒と預言者が導く教会形成です。今、世界中でリバイバルが起こっていますが、ほとんどが使徒と預言者が導くリバイバルから生まれた教会です。私は牧師なので、自分の教会のことしか考えていません。視野がとても狭くビジョンを描くこともできません。だから、私は使徒と預言者から絶えず学ばなければ、行くべき道を失ってしまうことを知っています。私が学んでいる洋書のほとんどは、使徒と預言者が書いた本です。自分の不足分を補っています。そして、今、神さまが起こしているリバイバルの波に乗ろうという情熱を与えてくれます。これまでは「うまくいかなかった」とため息をついて、惰性で生きていました。しかし、聖霊による勢いをいただいて、今起こっているリバイバルの波に乗ろうと思っています。サーファーたちが、バドリングして、良い波を待っています。とても地味な光景です。でも、良い波が来たら、ぱーと立ちあがり波に乗ります。できるだけ、長い間、その波に乗っています。私も現在、起こっているリバイバルの波に乗り、そのリバイバルの恩恵に共に預かりたいと思います。一緒に乗りましょう。初代教会に起きたようなことを目撃したいと思います。