2024.2.2「国々を弟子とせよ マタイ28:18-20」

自然主義というのは創造主なる神を認めず、宇宙全体は偶然にできて、自分勝手に動いているという考えです。神とか悪魔、霊的な存在は一切認めず、目に見える物質とその法則だけが頼りです。人間も他の生物や動物と同じであり、善悪の基準もなく、死んだら消えてなくなります。自然主義は、無神論とか唯物論と言い換えることもできます。19世紀以降、この考えがキリスト教会に入ると様々な問題を引き起こしました。人々は、神様に関する霊的なことと、この世に関する政治や商売などを分けて考えるようになりました。

1.二つの領域 

前回と同じく、『御国のライフスタイル』第四巻から、しばらく引用したいと思います。ナチス・ドイツ時代には、多くの教会が彼らの悪行に対して沈黙したり、公然と支持していたという悲惨な事実があります。ヒトラーが権力を握っていた時代、全ドイツの95%がキリスト教徒であると主張していましたが、三分の一がカトリック、三分の二がプロテスタントでした。平和の君を信奉する多くの人々が、なぜこのような邪悪な政府を支持し、何百万人ものユダヤ人を虐殺するのを黙って見ていることができたのでしょうか?単純な答えはありませんが、ナチス・ドイツに遡ること50年、宰相ビルマスク(1815-1898)がドイツ帝国を樹立しました。ビスマルクはキリスト教に改宗しましたが、「国家の奉仕者として行動するとき、個人として持つべき道徳に縛られない」と主張しました。つまり、ビスマルクは「私的な道徳と公的な道徳は分かれていなければならない」と考えていたのです。このダブルスタンダード(二重基準)は、「二つの領域の教義」として知られています。この教義によると、救いや永遠の命といった霊的な問題は、教会や聖典が支配する領域にあります。それ以外のこと、政治、法律、外交などの「世俗的」な問題は、聖書の原則が適用されない別の領域に存在します。このような分割した考えが、ナチス・ドイツ支配下の教会に広まっていたということです。二つの領域の考え方によると、「キリストは教会の主であり王であるけれど、政治領域の主であり王ではない」ということになります。皮肉なことに、この同じ時期に、ルター派教会では霊的な刷新運動が起こりました。この運動は「聖書への忠実な回帰、神への礼拝…そしてキリストへの個人的な献身を提唱しました」。しかし、ドイツの教会に根付いていた二つの領域の考え方のために、この運動は伝道とキリストの宣教を強調しましたが、ドイツ全土で繰り広げられていた現実からは撤退したのです。教会の分裂した考え方のために、この刷新運動はナチスの流れを止めるためにはほとんど影響を与えませんでした。

アドルフ・ヒトラーが最高の権力を手にしたとき、二つの領域の考え方は限界に達しました。最終的にナチズムは、ドイツのキリスト教徒に「縮小する『霊的領域』の主であるキリストと、すべての主であるキリストのどちらかを選ぶ」ことを強いました。ヒトラーはキリスト教指導者と権力を共有するつもりはありませんでした。彼は、キリストの十字架とナチスの鉤十字の壊れた十字架を共存させることを許しませんでした。1934年1月4日、ナチス政府は「口封じ令」と呼ばれる法令を発布し、ドイツの聖職者が社会的・政治的な論争について説教で語ることを禁止しました。牧師は、十字架につけられたキリストを説くだけで信仰を持つことができるのか、それとも、たとえ当局がそのような行動が物議を醸すと考えたとしても、このメッセージには生きなければならない意味があるのでしょうか?多くの牧師が口封じ令に反抗し、その結果、ドイツ福音主義教会は分裂していきました。その主要な指導者の一人であるカール・バルトは、「私たちは、私たちの人生には、イエス・キリストに属するのではなく、他の主人に属する領域があり、イエス・キリストによって義とされ、聖別される必要のない領域があるという誤った教義を拒否する」と力強く宣言しました。 ディートリヒ・ボンヘッファーを含む告白教会の指導者たちは、二つの領域の教義は嘘であると考えました。彼らは、献身的なキリスト教徒は、生活のあらゆる領域で信仰を生きる必要があると結論づけました。歴史上、クリスチャンは、イエスを主として敬う霊的な領域と、そうでない世俗的な領域を区別してきました。私たちの人生には多くの部分がありますが、聖書は、イエスがすべての部分の主であることを明記しています。クリスチャンとして、私たちはすべてを主イエスの権威の下に置きたいと願っています。ナチス時代のドイツの教会のように、考え方や生活が分割していることは、今日、世界中のクリスチャンにとって深刻な問題です。

「二つの領域」は、自由主義に対する教会の応答とも捉えることができます。自由主義は神の存在を否定し、目に見える物質とその法則だけを認めました。自由主義に対して、教会は聖なるものと俗なるものに分けて考えるようになりました。聖なるものとは聖書や祈りや伝道、教会に関することです。一方、俗なるものというのは、政治や経済、この世の科学です。さきほど、取り上げたナチス・ドイツの問題はそのような「二つの領域」から生まれたと言っても過言ではありません。ビスマルクは個人としての道徳と公人としての道徳を分けたのであります。アメリカのある大統領が不倫を犯しましたが、「それはプライベートなことであり、大統領としての公務には差し支えない」みたいなことが言われました。昭和の時代、クリスチャンの総理大臣がいましたが、神社参拝をしていました。パウロは「何をするにしても、すべて神の栄光のためにしなさい」(Ⅰコリント10:31)と言っています。弟子としての私たちの使命は、聖書の原則と真理に従って、神の栄光のために生きることです。弟子となることは、家族、職業、勉強、余暇活動、日常生活など、人生のあらゆる面に及びます。また、親、兄弟、子ども、従業員、上司、学生、教師、指導者、従者など、さまざまな役割にも当てはまります。

 

2.妥協した教会

自由主義はヨーロッパやアメリカをはじめとする世界各地に野火のように広がっていきました。自然主義は、大学や神学校を席巻し、自然科学、法律、ビジネス、経済を支配するようになりましたが、キリスト教会にも多大な影響を与えました。現代の神学者たちは…キリスト教の信仰を啓蒙主義の教義に照らして理解するのではなく、啓蒙主義をキリスト教の信仰に照らして理解しようとする誘惑にさらされていました。それを自由主義神学と言いますが、啓蒙主義思想をもって、聖書を研究する立場の人たちです。これを「高等批評」とか「批評学」と呼んでいます。取り入れた哲学は、ヘーゲルの弁証法「正反合」です。たとえば、モーセ五書はJ(ヤーウエ)資料、E(エロヒム)資料、D(申命記)資料、P(祭司)資料が、「正反合」によって聖書が段階的に出来上がったという説です。このようにドイツの神学者たちは、聖書を解体し、最終的には聖書の霊感説を否定してしまいました。聖書は民衆の伝説や神話から自然発生したものを、後の人たちがまとめたものであると考えました。まるで、それはダーウィンが提唱した進化論とそっくりであります。この考えは旧約聖書にとどまらず、新約聖書にも及びました。ある本にこのように書かれていました。「聖書は人間の言葉の編集物であるのです。聖書の各書は、その著者・年代、紀元が今のところまだわからないとしても、ある場所・ある時・ある人によってまとめられたものです。…どのようにし人間の言葉が同時に神の永遠のことばでありうるのでしょう?」これは、聖書の霊感説を完全に否定しています。もう一つの立場は神秘主義です。シュライエルマッハー(1768-1834)は、自然主義の影響を受け、神は知ることができないか、あるいは非現実的であると考え、キリスト教の信仰を、イエスの生死や復活といった歴史的に検証可能な現実に基づかせませんでした。その代わりに、彼はキリスト教信仰を人間の主観的な信念に基づかせました。キリストへの信仰は、感情的な必要性に根ざした個人的な経験の問題となりました。この世界観では、霊的な信念は主観的なものであり、個人がそれを信じている場合にのみ「本物」であると考えられています。 まさしく神秘主義であり、この世界の事実や法則はどうでもよくなります。

また、自由主義と妥協した教会は、伝道よりも社会活動を強調するようになりました。神を主観的な信仰の領域に封じ込めたことで、現代人は自分の運命を切り開くことができるようになりました。キリスト教徒にとっては、神の国は人間の努力と知識だけでこの地上に実現できることを意味していたのです。新しい神学は、聖書の堕落と人間の罪深さ、堕落の教義を否定しました。その結果、伝道、悔い改め、救いの必要性が軽視されたのです。19世紀のアメリカの新聞記者、ホレス・グリーリーは、多くの人を代表して「人間の心は堕落していない…彼の情熱は間違った行為を促すものではなく、それゆえに彼らの行動が悪を生み出すものでもない」と書きました。グリーリーによれば、「悪は、社会的な抑圧や破壊からのみ生まれる。人間に完全な範囲と自由な遊びを与え、完全で完璧な発展をさせれば、普遍的な幸福が得られるに違いない。…このようなことが可能になるような新しい社会の形を創造しなさい。そうすれば、完璧な社会、すなわち『天の御国』を手に入れることができるのです」。このような信念から生まれた運動は、「社会的福音」と呼ばれるようになりました。グリーリーが示したように、悪は人間の中にある生来の悪ではなく、社会の組織のあり方によって生み出されるという信念が、この運動の中核をなしていました。

アメリカでは、神学的な自由主義と社会的な普遍主義が結びつき、第二次世界大戦後、政府による大規模なプログラムが生まれました。これらのプログラムは、国内外の貧困をなくすことを目的としていました。新しい社会政策と大規模な政府官僚組織が作られ、貧しい人々への援助が行われました。1970年以来、ハイチに住む約1,000万人の人々の経済的、社会的、精神的な傷を癒すために、何千もの国際的な政府や非政府組織による援助プログラムと何十億ドルもの米国ドルが投入されてきました。しかし、このような大規模かつ持続的な努力にもかかわらず、ハイチは西半球で最も貧しく壊れた国であり続けています。アメリカ国内の「貧困との戦い」も同様に悲惨な結果に終わりました。1960年から1990年の間に、何十億ドルもの米ドルが福祉プログラムを通じて、貧困に苦しむ人々に支給されました。政府が定めた貧困ライン以下で暮らす人々の数は、この期間中に実際に増加したのです。そのため、アメリカの福祉制度は1990年代に全面的に見直されました。このような善意の取り組みが、なぜ失敗に終わったのでしょうか。それは、私たちが壊れた民族であり、人種であるという聖書の明確な教えを無視したからです。最高の知識や資源、技術をもってしても、私たちの壊れた心を癒すことはできません。私たちの努力が、人生のすべての分野において、私たちがどのように生きるべきかという神の啓示に従わなければ、私たちは壊れたままです。聖書は、人間の理性や資源の開発が私たちの癒しに役立つことを認めていますが、それは人間が罪深い存在であり、完全で超自然的な癒しはイエスの十字架によってのみ得られるという理解と結びついていなければなりません。この理解がなければ、最善の努力をしても失敗する運命にあります。

 

3.反対した教会

自然主義と妥協した教会が自由主義神学の教会と言えます。ところが、聖書を誤りなき神のことばと信じている正統派の人たちにとって、自由主義神学は異端でありました。そこで、根本主義と呼ばれる反体制派が生まれました。根本主義は、聖書の霊的な基礎を強調することで教会を救済しようとしました。神の超自然的啓示としての聖書の権威、神のイエスへの受肉、人間の罪のためのイエスの十字架上の贖いの死を支持しました。根本主義にとって敵である自然主義は、現実を「事実」と「価値」の二つに分け、科学と理性だけが真実を決定できると主張しました。これに対して根本主義者たちは、意図せずして古代グノーシス主義の異端を借りてしまいました。グノーシス主義とは紀元1世紀頃栄えた、キリスト教の異端です。ギリシャ哲学の影響を受け、霊や魂は善であるけれど、物質や肉体は悪であるという考えです。根本主義者たちは、科学や理性は世俗的なものであり、キリスト教徒が避けるべきものとしました。これによって、信仰と理性、霊的なものと世俗的なものが対立していました。霊的な領域、つまり神、聖書、伝道、教会への出席、「フルタイムのキリスト者奉仕」、祈りなどの領域は良いものとみなされました。物理的、物質的な領域は、低俗で「世俗的」なものとみなされていました。科学、人間の理性、政治、経済、社会活動など、自然主義に支配されたものは、世俗的であるという烙印を押され、避けられるべきものとされました。根本主義運動は、世界の宣教活動に大きな影響を与えました。根本主義者が自然主義に反発していた頃、欧米から何十万人ものキリスト教宣教師が地球の最果てに派遣されていました。これらの宣教師たちは、キリストの大義のために多大な熱意をもって赴き、信じられないような犠牲を払いました。しかし、多くの宣教師はグノーシス主義の考え方に感染しており、彼らが建てた教会を通じて土着の信者に伝えました。宣教師たちは、伝道や教会設立以外の宣教活動を、社会的福音運動と結びつけていました。自由主義神学者たちは、神の国は社会活動や政府の啓蒙プログラムによって今ここで達成されると説きました。これに対して、根本主義者や福音主義者の宣教師たちは、神の国は厳密には霊的な現実であり、死後の世界でのみ重要であると教えました。

現代のクリスチャンの多くは、このような分裂した考え方のために、区分けされたライフスタイルを送っています。教会で聖書の勉強や祈りをしているときは「霊的な世界」にいます。それ以外の時間、特に職業生活においては、「世俗的な世界」で生活しています。この区分けは、私たちの会話を混乱させます。例えば、クリスチャンが世俗的な仕事を辞めて、教会やキリスト教団体、宣教地などで「フルタイムのキリスト者奉仕」をするという話を聞くことがよくあります。この観点からすると、フルタイムのキリスト教奉仕をしていない、世俗的な世界で働いているクリスチャンは二流の市民です。その結果、神はすべての人の主として敬われなくなり、聖書的な世界観を持つクリスチャンの影響力は市場から排除されてしまうという悲しい結果になります。クリスチャンが聖書の世界観ではなく、分割された考え方を採用すると、文化に関わりたいという気持ちがなくなり、「すべての国の人々を弟子にしなさい」というキリストの命令に従えなくなります。地を主の知識で満たすこと(イザヤ11:9)は、自分の心を主の知識で満たすことに還元されます。教会がこのように分裂した考え方をしていると、クリスチャンはメディア、教育、政治、芸術を形成することができなくなります。彼らはもはや国を弟子にするのではなく、国に弟子入りさせられてしまうのです。教会は、世俗的な世界の流行、信念、慣習に左右されてしまいます。その証拠に、世界中の教会では、周囲の文化の優先事項や価値観を反映しています。例えば、アメリカの多くの福音主義教会では、神学の代わりに心理学が使われており、礼拝は神の特徴や働きを強調するものではなく、教会の参加者が自分自身を良く見せるためのものとなっています。教会は、壊れた世界でどれだけ神の性質や特徴を現しているか、あるいは社会に影響を与えているかというよりも、建物の大きさや出席者の数で評価されがちです。

この本を読んで「私は根本主義の立場なんだなー」と分かりました。私の家内は看護師であり、いわば医療従事者です。私は神の癒しと自然治癒力を信じていますので、薬や医療は二次的であると考えています。ですから、結婚した後、子どもが病気になるとよくケンカをしました。「祈ったのに、どうして薬を飲ませるのか」と幾たび言ったでしょうか?また、救霊による教会成長を第一の課題としてきたので、礼拝人数をいつも気にしていました。教会成長のセミナーにもたくさん出てきました。しかし、教会に関する霊的なものが第一で、この世の政治や経済、芸術は二次的で俗的であると考えていました。ビルジョンソンの本なので、いくらか修正されましたが、その根拠が良く分かりませんでした。長い間、「100名礼拝にどうしてならないのか」悩んでいましたが、考えを変える、悔い改めるべきことが見つかったように思えます。

 

4.ホリスティック

マタイ28:19「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」私はこのみことばを長い間、誤解していました。国というのは個人個人が救われることではなく、国が変えられるということです。つまり、個人が救われる宣教にとどまらず、政治や経済、芸術、教育、医療にまで影響を与えるホリスティックなミニストリーが必要です。ホリスティックというのは、「全部の」「全体の」という意味です。つまり、霊的と言われているものも、政治や経済を含む、この世の物質的なもの「全部」と言う意味です。私たちは霊的なもの(聖書、祈り、伝道、礼拝)だけが神様と結びついていると考えます。そして、自然界にあるもの(仕事、教育、科学、政治、経済、ビジネス、マスメディア)は俗的であると考えています。そうではなく、神様は自然界を造られたお方であり「それは非常に良かった」(創世記1:31)とおっしゃいました。つまり、自然界にあるものにも、神様は関与しておられ、私たちがそのところで「世の光、地の塩」として神の栄光を現すことを願っておられるのです。ウィリアム・ケアリーは、福音を宣べ伝え、新しい教会を設立するためにインドに行ったのではありません。彼は未開のジャングルになっていたことに愕然とし、農業の体系的な調査を行い、農業改革のための運動を行いました。彼は、インドに蔓延する社会悪である高利貸しに対抗するため、貯蓄銀行の考えを導入しました。それまで、ハンセン病患者は、生きたまま埋められたり、焼かれたりしていました。彼はインドのハンセン病患者を人道的に治療するためのキャンペーンを最初に行いました。ケアリーはすぐに聖書を40以上のインドの言語に翻訳しました。それまで「悪魔と女だけのもの」とされていたベンガル語を、インドで最も優れた文学言語に変えました。インドの女性たちは、一夫多妻制、女性の嬰児殺し、児童婚、未亡人の火葬、安楽死、強制的な非識字など、宗教によって押しつぶされていたのです。ケアリーは女子のための学校を開設しました。また、未亡人がキリスト教に改宗すると、結婚を斡旋しました。また、未亡人の焼身自殺(サティ)に対しては、25年間にわたって粘り強く戦い、最終的にはこの恐ろしい宗教的慣習を正式に禁止するに至ったのです。ウィリアム・ケアリーは、世界各地で展開されている近代キリスト教宣教活動の先駆者です。彼は素朴な出自の持ち主でしたが、神から与えられた才能とあらゆる手段を用いて創造主に仕え、インドの暗い隅を真理の光で照らし出したのです。ケアリーは、現代のホリスティック・ミニストリーの先駆者です。イエス様は「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」と言われました。個人にも、国々にも御国が来ますように願い求めていきたいと思います。