2011元旦礼拝 「心を新たに」 ローマ12:1,2

クリスチャンとは霊的に新しく生まれた人です。つまり、神さまとの関係が回復し、罪から離れ、新しい道を歩む存在です。しかし、パウロはクリスチャンに対して、「心を新たにせよ」と命じています。ギリシャ語では、心はヌースになっています。直訳するなら、「考え、思い、マインド」です。イエス様を信じて救われたはずなのに、考え方が昔のまんまだたりします。私たちは日常生活においていろんな出来事に遭遇します。自分の思うとおりに進むこともありますが、あるときには、思いがけないことが起こったり、不当な扱いを受けたりします。そのとき、通常よりも激しい感情が噴出してきます。怒り、憎しみ、悲しみ、恐れ、無力感に支配され、しばらくは、自分の意思ではどうすることもできません。これを過剰反応と言います。心の中に、地雷みたいなものが埋まっており、だれかが、そこを踏むとドカンと爆発します。そのため、周囲の人たちも少なからず被害を受けます。みなさんが、こういうので縛られてはいませんでしょうか?これを束縛されたライフ・スタイルと言います。せっかく、新年を迎えたのですから、新しい年、解放された道を歩みたいですよね。

1.コア世界観を特定する

 理不尽な出来事が起こったとします。それを私たちは自分の「考え」で捉えます。その後、感情が起こるのです。さらに、身体反応、行動が続きます。多くの人は、出来事が起こったら、感情が直ちに起こると考えています。そして、その感情をなんとかしようとします。「怒ってはいけない、嘆いてはいけない、恐れてはいけない、落ち込んじゃいけない。」しかし、それは無理です。感情というのは中立的な存在で、車のメーターみたいなものです。車には速度計、回転計、温度計などいろんな計器がついています。温度計が高いのを見て、針を手で下げても無駄なことです。たぶんラジエターに水がないので、エンジンが熱くなっているのでしょう。同じように、「怒ってはいけない」「恐れてはいけない」と自分の意思でメーターの針を下げようとしても無理なのです。そういう感情が生まれるのは、ある考えや思いがあるからです。もし、その考えや思いを変えるならば、感情も変わるはずです。ある出来事に対して、一瞬何かを考え、その後、感情が起こるのです。症状が重くなると、身体が震えたり、夜眠れなくなります。しまいには、外に出られなくなったりします。そうなったら、○○症候群とか、何らかの病名がつけられるでしょう。現代人の多くの人が、様々な心身症に悩んでいます。お薬で症状を緩和することも可能ですが、根本的な解決策は、考えを変えることです。考えを変えたら、感情が変わり、身体反応や行動も変わってくるのです。これを世の中では認知行動療法と呼んでいます。

 そこで、もう1つ新しいことばを用いなければなりません。それは世界観ということばです。その人のものの見方、考え方を世界観と呼びます。世界観とはめがねレンズのようなものです。出来事をゆがめたり、色をつけたり、フィルターをかけてしまいます。同じ出来事でも、人によって捉え方が全く異なってしまうのはそのためです。つまり、世界観がものすごくゆがんでいるため、束縛されたライフ・スタイルを強いられてしまっているのです。多くの場合、まわりの人々や状況をコントロールしようと躍起になります。挙句の果、うつになるか、燃え尽きます。そうではなく、あなた自身の、ものの考え方、世界観を変えるべきなのです。これが、パウロのいう「心を一新せよ」ということなのです。でも、ものには順番があります。私たちのものの考え方、世界観はそう単純ではありません。いくつかの要素が組み合わされています。カウンセラーはその人の話を聞きながら、どれが一番、支配的なものかさぐっていきます。つまり、世界観の核(コア)になっているものは何かを探すということを優先します。では、そのコア世界観はどのようにして知ることができるのでしょうか?「その人が何に困っているのか?」30分くらい耳を傾けていますと、あるきまったフレーズが出てきます。本人は気付いていないかもしれませんが、一定のことばが連発して出てきます。たとえば、「妹がこう言って馬鹿にした」「教会のみんながこう言って馬鹿にした」「牧師も私にこうしなさいと一方的に言った」。私たちはその人の心の叫びを聞くことができます。その人の心の叫びは「私を馬鹿にするな。自分を認めてくれ!」ということです。この人は人々から馬鹿にされ、認められていないので、怒りと復讐心に満ちています。もし、この人に何か欠点を指摘したなら、「どっかん!」と反発を食らうでしょう。では、この人のコア世界観は何でしょうか?この人はセルフイメージの問題を抱えています。この人のコア世界観をひとことで言うなら「私のセルフイメージは深く傷ついている」ということです。

 心の叫びとコア世界観は密接につながっています。あなたは自分の世界が壊れそうな出来事に遭遇するときがあるでしょう。「自分の世界が壊れる」あるいは「自分の魂が壊れる」でも、良いかもしれません。数ヶ月間、振り返って、自分の世界が壊れかかった時はないでしょうか?ある人があなたにこう言った。ある人があなたにあることをした。ある人があなたになすべき責任を果たさなかった。ある人があなたの権利を奪った。ある人があなたの大事なものを奪った。そのとき、あなたの心の中から「ばぁー」と心の叫びと共に、ある考えが湧きあがって来ます。私たちは無意識で、そうやって生きて来たのです。もう、何十年も繰り返してきたので、1つのパターンになっています。だから、私もあなたも、自動的に反応するのです。分からない人は、1週間の心のダイヤリーを付けたら良いでしょう。特定の出来事、浮かび上がった考え、何らかの感情、身体反応…。1ヶ月くらいやると、自分でも分かってきます。私たちは無意識で何かを口ずさみ、無意識で何かを叫んでいます。それをつかまえて、自分のコア世界観が何かを特定します。コア世界観は大体ワンフレーズ、ひとつの短い文章でまとめることができます。たとえば、「果たすべき人が責任を果たさないと私は壊れる。」「拒絶されると私は壊れる」「不当な扱いを受けると私は壊れる」「思い通りに事が進まないと私は壊れる」「低く見られると私は壊れる」。すると、「ああー、自分が抱えているテーマはこれなんだなー」と特定することがとても重要です。

2.埋め合わせ対処行動

 本来なら、自分の世界を知り、心の叫びを完了させるべきです。そうすれば癒されることができるのですが、そうしないで、その代わり何をするのでしょうか?埋め合わせ対処行動を取ります。「失敗したので、次はもっと頑張ろう」「怒ってしまったので、その変わり優しくしよう」「もう、あの人には近づかないようにしよう」「これからは、人に頼らないで自分でやろう」。そういう風に、決断したり行動したりします。また、私たちは時々、「貢ぎ」と呼ばれる行為をします。このことばは李光雨師がつけた言い方ですが。他の用語も、ほとんど李光雨師のものを拝借していますが。貢ぎというのは、「私の世界をこれ以上、壊さないでね」と自分自身あるいは物などと、ささげる行為です。たとえば、自分のことをいつも悪く言う上司がいるとします。上司に、「私のことを悪く言うな!正しく評価しろ!」とは言えません。その代わり何をするでしょうか?礼儀作法を正しくしたり、上司から頼まれたことは一生懸命やろうと努力します。とにかく、上司から気にいられるように頑張る。これを貢ぎと呼びます。自分よりも立場の弱い人には、そうではありません。でも、自分の世界を脅かすような人物には近づかないか、あるいは貢いで「私の世界をこれ以上、壊さないでね」と自分を差し出す。これはどちらも、埋め合わせ対処行動です。これは、あくまでも埋め合わせなので、本当の解決にはなりません。

また、私たちは自分を支えてくれる資源を求めます。現実があまりにも辛いので、そこを乗り越えさせてくれるサポート資源です。ノンクリスチャンであるなら、カラオケに行ったり、ぱーと飲んだり、しばらく楽しいことに没頭する。もし、クリスチャンであるならどうするでしょうか?牧師先生に相談する。そして、祈ってもらったり、励ましてもらう。教会によっては、牧師や牧師夫人がサポート資源として消費されている場合があります。あるいは、クリスチャンだったら神さまや聖書に求めるでしょう。「主よ、私の心の傷を癒してください」「主よ、どのような試練に会っても乗り越せさせてください」「主よ、人ではなくあなたに信頼しますので助けてください」「私は赦しますが、神様、どうかあの人を裁いてください」「今後はみことばに従いますので、私を支えてください」。そうすると、どかんと爆発していた感情がおさまります。やっていることはとても正しく見えます。でも、悪循環パターンは解決していません。火山は一度、噴火すると、しばらくはおさまります。でも、どうでしょう?地下でマグマがだんだん溜まってきます。いままではこらえてきたかもしれません。でも、ある日、突然、どっかーんと爆発してしまいます。何が原因なのでしょう?元になる考えや世界観を変えていないからです。嫌いな人から逃げたり、貢物を納めていても、いつしか限界がやってきます。なぜなら、世の中は自分が望むように回ってくれないからです。いつしか「なんで私が責められるの」「どうして私がこんな目に?」「俺のせいじゃないよ」…必ず、その日がやってきます。それを繰り返しながら、天国に行く方法もありますが、それを解決して残りの人生を気持ちよく生きる方法もあります。

3.心の叫びの完了

 この次は癒しの段階です。どうすれば、あなたのコア世界観が癒されるのでしょうか?それはあなたの心の叫びを完了させることです。しかし、多くの人はそれをしないで、埋め合わせ対処行動をして、しばらくはおさまり、また、しばらくすると爆発するかひどい落ち込みを経験します。牧師や神さまを消耗品に利用しないで、あなたのコア世界観を癒さなければなりません。第二のポイントで心の叫びがあるということを申し上げました。その心の叫びを一番、最初に叫んだのはいつのときでしょうか?あるいは、あなたが一番、最初に自分の世界が壊れそうになった時はいつごろでしょうか?そのときのエピソードを思い浮かべましょう。多くの場合、それが起きたエピソードは、あなたが幼い時に遡ります。なぜ、あなたはそんなに怒っているのでしょう?なぜ、あなたはそんなに深く傷ついたのでしょうか?たとえば、お父さんとあなたの関係です。お父さんは家庭を正しく治める責任があります。しかし、そのお父さんが家庭や自分を顧みなかったので、自分はひどい目にあった。そういう人は「いい加減にしないで、ちゃんと責任を取ってくれよ!」という心の叫びがあります。また、あなたのお母さんは「良い子じゃなければ、うちの子じゃない。勉強ができなきゃ、うちの子じゃない」とあなたを拒絶したかもしれません。そういう人は「私をありのままで受け入れてほしい」という心の叫びがあります。また、だれかがあなたの大事なものをあなたから奪い取ったとします。そういう人は「元通りに弁償してくれ。ちゃんと謝ってよ」という心の叫びがあります。あなたはこれまで、当人もしくは、第三者に同じようなことを求めてきました。立場の似ている人、あるいは伴侶、あるいは親しい人に。しかし、それは不可能です。あなたの心の叫びを完了してくれる方は、主イエス・キリストしかいません。イエス・キリストはきのうも、きょうもとこしえに変わらないお方です。イエス様はあなたの過去のいまわしい出来事に訪れてくださり、心の叫びを受け止めてくれるお方です。

 では、聖霊様の助けを借りて、あなたの世界が壊れた状況を思い起こしましょう。できたら、目を閉じて、何があったのかそのエピソードを思い出してみましょう。では、お祈りの中で、イエス様をその場面にお招きしましょう。ずっと、今の年齢から遡ってみましょう。あなたが小学校の頃はどうでしたでしょう?どんなことがあったでしょう?もう少し遡って、小学校に入る前後はどうだったでしょう?記憶がほとんどない、2,3歳の場合もあるかもしれません。あなたの世界を壊すような出来事はなかったでしょうか?お父さんはあなたに何をしたのでしょう?何かあなたに強い口調で言ったでしょうか?あるいは、お父さんはすべきことをしなかったのでしょうか?お母さんはあなたに何をしたのでしょうか?何かあなたにうるさく言ったのでしょうか?あるいは、お母さんはあなたが求めることをしてくれなかったのでしょうか?あなたの兄弟はどうでしょうか?お兄さん、お姉さん、弟、妹はどうだったでしょうか?あなたの人権を攻撃したでしょうか?学校の先生はどうでしょう?自分が悪いことをしていないのに、罰せられたかもしれません。何かひどいことを言われて、自尊心を傷つけられたでしょうか?友だちはどうでしょうか?自分をいじめた憎たらしい人はいないでしょうか?自分を馬鹿にした人もいたかもしれません。あなたはどんな表情をしているでしょうか?泣いていますか?握りこぶしを握って怒っているでしょうか?恐くて隠れているでしょうか?もう、心を閉ざして、だれも信じないと誓ったかもしれません。もう、生きる希望を捨てて、あきらめたかもしれません。そのところに、イエス様をお招きしましょう。イエス様にとって、過去も現在もありません。あなたのところに行って、あなたと出会ってくださいます。どうそ、「イエス様、あなたはどこにいらっしゃるのですか?」呼んでください。かならず、どこかにいらっしゃいます。イエス様は「私も気の毒に思うよ。私も残念に思うよ」と言ってくださるでしょう。あるいはイエス様は「私が弁償してあげるから、大丈夫」と言われるかもしれません。どうぞ、イエス様のお声を聞きましょう。イエス様はあなたの心の空洞を埋めてくださいます。あなたの心の叫びを完了してくださいます。アーメン。こういうのを自分の部屋でもやっても結構です。また、信頼のおける人から祈ってもらっても良いでしょう。

4.Bコースで生きる。

Bコースで生きるとは、新しい世界観で生きるということです。心の叫びが満たされたら、こんどは、新しい世界観を持たなければ、逆戻りしてしまいます。あなたのこれまでのコア世界観をAとします。「自分は○○をされると壊れる」という世界観です。こういう思いが深いところにあると、似たような状況が起きた時、自動的に反応してしまいます。そうではなく、コア世界観を別のものにしましょう。新しい世界観、Bに取り替えるのです。これをBコースとします。あなたはこれからAコースでなく、Bコースを生きるのです。血液型ではありません。これまでの古いコア世界観Aから、新しいコア世界観B、Bコースを生きるのです。Bコースって何でしょう。Aの反対です。あなたは以前、「果たすべき人が責任を果たさないと私は壊れる」という世界観を持っていたとします。Bコースは「果たすべき人が責任を果たさなくても私は壊れない。なぜなら、神さまが責任を取ってくれるから」。「拒絶されると私は壊れる」という世界観を持っていた人はどうでしょう?「私は拒絶されても壊れない。なぜなら、神さまが私を完全に受け入れていてくださるから」です。「不当な扱いを受けると私は壊れる」という世界観を持っていた人はどうでしょう?「私はたとい不当な扱いを受けても壊れない。なぜなら、神さまが正しく扱ってくださる、報いてくださるから」です。「思い通りに事が進まないと私は壊れる」という世界観を持っている人はどうでしょう?「思い通りに事が運ばなくても私は壊れない。なぜなら、神さまが真の支配者で、もっと良い方向へ導いてくださる」からです。「低く見られると私は壊れる」の人はどうでしょう。「私は低く見られても壊れない。なぜなら、私は主にあって高価で尊い存在だから。人から評価されなくても、神さまが私を正しく評価してくださる」アーメン。

これは世の心理学者やカウンセラーにはできないことです。なぜなら、彼らは神さまを信じていないからです。私たちの場合は、主にあって、新しい世界観を持てる根拠があります。ある人は、被害者意識、自己憐憫で支配されていたかもしれません。傷が膿んでいて、ちょっとでも触っただけで跳ね上がるような痛みを感じていたかもしれません。でも、主にあってあなたはもう壊れないのです。被害者意識と自己憐憫というAコースを捨てて、Bコースを選択するのです。どんなコースでしょうか?人生は障害物競走である。私はしなやかに障害物を乗り越えることができる。英語ではovercomeです。私はかしこく障害物を通り抜けることができる。昨年のゴスペルコンサートで、スペシャルギフトを賛美しました。その中に、He was brought me through、「主は私を通り抜けさせてくださった」とありました。みなさん、障害物競走で走ったことがありますか?網もありますよ。平均台もあるし、跳び箱もあります。オリンピックでは水たまりもあります。かつてのAコースだと、「どうしてこんなことが私だけに起こるの?」と嘆いていたかもしれません。新しいBコースだと、「障害が起こっても私は壊れない。障害があるから人生は楽しい。主が乗り越えさせてくださるから」となります。実際、何もないよりも、傷害を克服して成功した方が何倍も楽しいでしょう。それだけではありません。障害を乗り越えたことによって、私たちの技術が向上します。そして、私たちの品性も向上します。「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出す」(ローマ5:4)とあります。みなさん、私たちがBコースを歩んだとしても、これまでの状況や環境は変わりません。同じように不当な扱い、厳しい批判、とんでもないことに巻き込まれるかもしれません。私たちは環境は人々を変えることができるでしょうか?これは変えられません。変えられるのは私たちの世界観、心構えです。

コア世界観のAコースとBコースがあります。これは途中から変えることはできません。出来事が進んだら、もう進路を変更できません。なぜなら、これはコンピューターのOSみたいなものだからです。OSとは、すべてのソフトを動かす基本的なソフトです。たとえば、私はWindows XPで立ち上げたら、XPで行くしかありません。でも、Windows7で立ち上げたら、Windows7で他のソフトもみんな動きます。同じパソコンなのに、全く別ものになるのです。一度立ち上げたら、途中から切り替え不可能です。どうでしょう?従来のAコースで行きますか?そのOSはとても脆弱で、バグがあり、時々、フリーズ(止まってしまいます)。本当に欠陥品です。どうぞ、新しいBコースと取り替えましょう。これはより高度で、いろんな作業もできます。もし、あなたが新しいコア世界観を持つなら、今度は、より積極的な思考や能力をそこに加えていくことができます。多くの人は外側ばかり変えようと失敗して、もとの木阿弥になりました。もっても3日です。でも、新しいコア世界観を持てば、いろんなものを吸収して成長していくことができます。主の恵みによって心を一新させていだだきましょう。そして、新しい年もイエス様と共に恵みの中を歩みましょう。