2015.3.8「罪の結果からの救い ローマ5:12-21」

 罪というのは、おそらくキリスト教の独特な概念かもしれません。そもそも聖書が言う「罪」とは、犯罪とか道徳的な罪ではありません。神さまご自身に背くとか、神さまの律法に違反しているという意味です。つまり、源である神さまとの関係が壊れてしまったので、様々な罪が発生したと考えるべきです。現代の私たちは様ざまな罪の結果で苦しんでいます。もし、私たちが根本的な解決を求めるならば、罪の初めに遡る必要があります。つまり、罪のはじまりを解決したならば、後の私たちも罪の結果から救われるのではないかということです。

 

1.罪のはじまり

 

ローマ5:12「そういうわけで、ちょうどひとりの人(アダム)によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、──それというのも全人類が罪を犯したからです。」ローマ5:19「すなわち、ちょうどひとりの人(アダム)の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとり(キリスト)の従順によって多くの人が義人とされるのです。」1つ質問させていただきます。一体、だれのどのような行為によって人類に罪が入ったのでしょうか?「ひとりの人」と書いてあります。パウロは、「ひとりの人」というのは、アダムと言っています。アダムはどんな罪を犯したのでしょう?神さまから「善悪の知識の木からは取って食べてはならない」と言われていました。それは神さまの命令に対する不従順であります。つまり、ひとりの人、アダムの不従順によって罪が世界に入ったということです。二つ目の質問をさせていただきます。罪と一緒に何が人類に入ったのでしょうか?「死が入った」と書いてあります。創世記2章を見ますと、神さまはアダムに「それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と言われました。では、アダムがその木の実を食べたとき即座に死んだでしょうか?即座に死んだのは霊であります。霊が死んだ代わりに魂が異常に発達しました。しかし、その後どうなるのでしょうか?神さまは「あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから」と言われました。これは肉体的に死ぬということです。アダムは930歳で死にました。「え、そんな馬鹿な?」と言われるでしょう。しかし、神さまはアダムが永遠に生きるように造られました。でも、罪を犯したので死んだのです。930年は永遠と比べたら短いのではないでしょうか?それだけではありません。最後は霊魂が裁かれる永遠の死がやってきます。神さまは人間の霊魂を永遠に生きるように造られたので、永遠の火によって滅ぼすしかないのです。こういうわけで、アダムが犯した罪のゆえに、霊的死、肉体の死、そして永遠の死が人類に入ってしまいました。

 

あなたは「それは不公平だ」と思われるでしょうか?それとも、「アダムが一番悪いんだ!」とアダムを責めるでしょうか?テキストに「あなたはアダムによって連帯責任を負わされていることを認めますか?」と書いてあります。「連帯責任」ということばは、良い響きがしません。学校ではクラス全員が連帯責任を負わされるということがあります。高校野球でも部員が悪いことをすると、甲子園に行くことができません。私は会社に入る前、2週間くらい、自衛隊の訓練学校で研修を受けました。富士山の南側にあるのですが、新入社員を自衛隊式にたたきなおすようなところです。朝6:00に起床し、布団を決められたとおりたたみ、グラウンドに集合して、国旗掲揚をします。遅刻すると、その班全員が腕立て伏せ50回やらされました。それだけではなく、何かあると「連帯責任」を取らされました。「人に迷惑をかけてはいけない」「人の足をひっぱってはいけない」という価値観を入れられた感じがいます。私は小学校のときから、そういうのが大嫌いでした。遠足のバス時間に遅れたり、体育のクラスに遅れたり、提出物を忘れることがよくありました。みんなに合わせるということがとても苦手で、何よりも苦痛でした。聖書でも、アダムが犯した罪によって、私たちに死が入り、連帯責任を負わせられるというのはとても我慢できません。でも、逆も考えられるのではないでしょうか?人類の希望はどこからやってくるのでしょうか?パウロはちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです」と言いました。ひとりの従順とは、キリストの従順であります。キリストの従順によって、多くの人が義人とされるのです。これもある意味ですばらしいことではないでしょうか?ただ問題は「多くの人」と書いてあるところです。パウロは「すべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです」とも書いています。これは、すべての人が救われるチャンスが与えられるけれど、受け取らなければならないという限定付きではないでしょうか?アダムは神との契約を違反して堕落しました。この解決は、キリストによってもたらされた新しい契約を結ぶ必要があるということです。死はアダムの罪によってすべての人にやってきましたが、キリストが命をもたらす特効薬であるということです。

 

2.罪の結果

 

創世記3:16-19女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」この箇所はキリスト教会で度々引用されます。この世は、なぜ理不尽に満ちているのかを知る手がかりになります。また、質問をさせていただきます。アダムとエバが罪を犯した結果、自然界にどのような呪いが入ったのでしょうか?「土地が呪われてしまった」と書いてあります。それまでは、土地がひとりでに実を結ばせました。ところが、アダム以来、人は一生、苦しんで食を得なければならなくなりました。さらに悪いことに、土地はいばらとあざみを生えさせるようになりました。これまで人間のために良くしていた自然界の生態系が狂ってしまいました。人間に害を及ぼすような害虫や病原菌、ウィルスも発生したのではないかと思います。それまでは、アダムは自然界を支配する力が与えられていました。しかし、罪を犯してからその力がなくなりました。なんと、サタンがその力を横取りしたのです。サタンが「この世の神」と言われているのはそのためです。ルカ4章で、悪魔はイエス様に「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。」と言いました。もし、それが嘘であったなら、イエス様は「馬鹿こけ!これは神さまのものだ」と一蹴できたはずです。しかしイエス様は「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい」とみことばを引用して誘惑を退けました。さまざまな天災、戦争や悪、不条理がはびこっているのは、サタンが背後にいるからです。神さまのせいではありません。アダムが罪を犯したために、被造物が虚無に服してしまったのです(ローマ8:20)。

 

では、男性にどのような呪いが入ったでしょうか?「顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る」と書いてあります。英語のlaborは、労働という意味ですが、「骨折り、努力、憂き世の務め」という意味もあります。また、laborは分娩、お産、陣痛という意味もあります。日本人は「頑張る」という言葉が好きです。家でも学校でも「頑張れ!頑張れ!」と言います。でも、「頑張り」はあまり聖書的ではないと思います。創造主である神さまを除外して、自分の力だけで生きるイメージがあります。「顔に汗を流して」という表現は、必ずしも良い表現ではありません。そこには労働に対する呪いがあるように思います。それまでは、土地自身が食べる果実を生産してくれました。ところが、土地が呪われてからは、人間が必死になって働かなければ、食べていけなくなったのです。つまり、頑張らなければ生きてゆけなくなったのです。では、「なまけたら良いのか」と言っているのではありません。日本では勤勉や勤労が美徳とされていますが、必ずしも良きものを生み出すわけではないということです。そのため家庭が崩壊したり、健康を損ねたり、我欲やむさぼりによって罪を犯すことがあるからです。では、女性にはどのような呪いが入ったでしょうか?苦しんで子を産まなければならない」とあります。産みの苦しみです。さらにもう1つ、「あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる」とあります。これは、両者の間に軋轢が起こるようになったということです。最後に、人間はどうなるのでしょう?土に帰る。ちりだから、ちりに帰らなければならないということです。ヘブル9:27「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。」これが、生まれつき人間の定めです。だれも、この呪いと死から免れられることはできません。

 

3.罪の解決

 

神さまはアダムとエバが堕落した直後に救いの道を備えておられました。それは原始福音と言われるもので、新約聖書の福音の型(予表)であります。それは2か所記されています。第一は、創世記3:15「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」第二は、創世記3:21「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。」第二の方は、グッドニュースの時にお話ししましたので、省略させていただきます。では、「おまえの頭を踏み砕く」という預言はどのように成就しましたでしょうか?これは主がサタンに語っていることばです。まず、「お前と女との間に」「お前の子孫と女の子孫」と言われているのが面白いですね。最初、誘惑にまけて罪を犯したのは女であるエバであります。しかし、アダムはかしらとしての責任を果たしませんでした。神さまは汚名挽回をさせるかのように女性を通して救いを成し遂げたいと思っていらっしゃいます。女の子孫とはだれでしょうか?イエス様は、おとめマリヤから生まれました。それでは、サタンの頭を踏み砕くという預言はいつ成就したのでしょうか?それは、イエス・キリストが十字架にかかって、贖いを成し遂げたときです。イエス様は十字架で「完了した」(ヨハネ19:30)と叫ばれました。多くの人たちは「イエス様が勝利したのは復活した時でしょう?」と言います。そうではありません。イエス様は十字架の上で既に勝利していたのです。イザヤ書53章は十字架を預言している書物ですが、最後に何と書いてあるでしょう?イザヤ53:11-12「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。… それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。」とあります。サタンは人々がイエス様を十字架に付けて、彼が死ぬように仕向けました。それは、まさしく「彼のかかとにかみつく」という預言の成就であります。確かにイエス様はかかとをかみつかれました。でも、十字架の死と復活によってサタンのかしらを踏み砕いたのです。かかとよりも、かしらの方が致命傷であります。

 

 サタン、あるいは悪魔には最大の武器があります。それは人々の罪を訴えるということです。神さまは義なるお方ですから、人の罪をさばかなければなりません。サタンは親切にも「あの人がこういう罪を犯しているのですよ?」とわざわざ神さまのところに訴えます。なぜなら、人類と一緒に自分ももらえるだろうという魂胆があるからです。でも、キリストの十字架はサタンの口を封じ、義人であるイエス様を殺したかどで完全にさばかれました。彼は最終的にはこのようになります。黙示録12:10-11「こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。…私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。」イエス・キリストはサタンの武器を奪いました。どうやってでしょうか?それは、自らが十字架にかかり全人類の罪をあがなわれたからです。これでもう、父なる神の人類に対する怒りがなだめられたのです。言い換えるなら、父なる神が持っておられる義が満足したということです。そのため、サタンがあの人、この人の罪を神さまに告発することができなくなったということです。それに、サタン自身も天から落とされているのですから、神さまのところへ上っていくことはできません。さらに、サタンが持っていたものを私たちがキリストの御名によって奪い取る時代がやってきたのです。健康も、豊かさも、家族関係も、権威も、力も、愛、平和、そして永遠のいのちです。

 

4.罪からの解放

 

私たちがアダムの子孫である限り、アダムの罪とのろいから免れることはできません。アダムから来ている悪いものを一度断ち切る必要があります。英語の聖書ではsinsとsinに使い分けられています。sinsというのは罪の結果であり、私たちが犯す様ざまな罪です。sinと言うのは、アダムから受け継いでいる原罪というものです。神さまはそのためにどのようなことをしてくださったのでしょうか?ローマ6:4-7「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。死んでしまった者は、罪から解放されているのです。」ここに「古い人」ということばが出て来ました。古い人とはアダムに属するすべてものです。アダムから来た罪の性質、アダムから来た死の力、アダムから来た呪いです。「臭いものは元から絶たなければダメ」という格言みたいのものがあります。アダムから来ている悪い流れを断ち切って、良い流れへと移される必要があります。では、どうすれば私たちの古い人であるアダムから解放されるのでしょうか?「キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られた」あるいは「古い人がキリストとともに十字架につけられた」と書いてあります。これは、私たちがキリストを信じてバプテスマを受けたとき、一緒に死んだということです。バプテスマのもとの意味は浸すとか沈めるという意味です。もちろん、洗礼のことを指します。でも、パウロは「バプテスマとはキリストの死にあずかること、一体となることなんだ」と言っています。

 

私たちは「どうして、2000年前のことが私に成就するのですか?私はまだ生まれていませんでしたよ?」とおっしゃるでしょう。私たちクリスチャンはキリストにつくバプテスマを受けた者です。バプテスマを受けたとは、キリストの中に入ったということです。たとえば、この聖書がキリストだとします。そして、この名刺があなたです。バスプテスマつまりキリストの中に入りました。もう、あなたはキリストの中に一体となっています。さて、このキリストは2000年前十字架につけられて死にました。はい、あなたはどこにいるでしょうか?あなたも、キリストと共に十字架につけられて死んだのです。その後、キリストは葬られました。あなたもキリストとともに葬られたのです。三日の後、キリストは父なる神によって死者の中からよみがえらされました。あなたも一緒によみがえらされたのです。なぜなら、あなたはキリストの中にいたからです。その時、私たちにどのようなことが起きたのでしょうか?私たちがキリストと共に死んで、キリストと共に葬られ、キリストと共によみがえりました。そのことによって、私たちの古い人が死んだのです。アダムから継続してきた死と呪いと罪の性質が一度遮断されたということです。そして、今あなたはキリストと共によみがえって、新しいいのちを持って生きているということです。牛乳の殺菌法を知っているでしょうか?牛乳を120度以上の高熱の中を2秒間通らせるのです。すると細菌は全部死にますが、栄養成分は全く変わらないそうです。牛乳には人格がありませんが、「うっ」と2秒間死ぬのです。自覚症状はありませんが殺菌されて、前の牛乳とは違います。ハレルヤ!あなたは自分で古い人を死なせる必要はありません。キリストにあって一時、死んだのです。あなたが必要なのは、その事実を「アーメン」と認めることなのです。認める、つまり信じるなら、古い人が死んで、新しいいのちがあなたのものになるのです。

 

そのことをあらわした有名なみことばがあります。Ⅱコリント5:17「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」「うちにある」とは、ギリシャ語の「エン」であり、パウロがよく用いている表現です。つまりそれは、キリストにバプテスマされ、キリストと一体になるということです。また、「うちにある」ということばを、英語の詳訳聖書では「engraft接ぎ木のように合体させる」というふうに訳しています。私たちはアダムの木から一旦切り離されました。古い人に死んだということです。その次に、台木であるキリストに接ぎ木されたのです。キリストが台木で、私たちはアダムの木から取られた挿し穂であります。今までは古い人として、アダムから命をいただいていました。キリストに接ぎ木されてからは、キリストから命をいただくようになったのです。アダムにある古い人は過ぎ去ったのです。そして、私たちは新しい人になりました。霊は一瞬にして新しく生まれました。しかし、魂と肉体はアダムから絶たれましたが、まだ、その中に残留物である肉があります。残念ながら罪の性質が宿っています。しかし、これはキリストにつながりながら聖められていきます。このことは、次の『本当の弟子』というところで学びたいと思います。しかし、だれでもキリストにあるなら、古いものである古い人は過ぎ去ったのです。ハレルヤ!神さまはあなたを新しい被造物にしてくださるのです。私たちの頭の中、からだの中には、古い人の記憶やトラウマがあるかもしれません。しかし、キリストと共に葬りさられたのです。もう、古い人がもたらす縛りから解放されたのです。こんどは、キリストに結ばれ、新しい被造物になりました。人生はやり直しがきくのです。「いや、私はやり直しなくても大丈夫」という人がいるかもしれません。しかし、瓦は磨いても瓦です。決して玉にはなりません。まず、質がダイヤモンドの原石に変えられる必要があります。ダイヤモンドの原石になったら、磨いたら玉になるでしょう。それが、古い人に死んで、新しい被造物になるということです。