2021.8.8「伝道者ピリポ 使徒8:4-13」

 

 ピリポは初代教会で選ばれた7人の執事の中の一人です。執事はギリシャ語でディアコノスであり「仕える人、奉公人、世話人、給仕人」という意味です。実際、ピリポはやもめたちを給仕するために選ばれました。執事が選ばれたことによって、使徒たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことができました。しかし、執事は今日で言う信徒であり、教会の役員さんであります。しかし、現代の私たちが想像もしないような霊的な働きをしています。私たちはピリポを見る時、これまでの教会の職制、つまり、信徒と教職者のあり方の見直しを迫られるでしょう。

1.リバイバリスト・ピリポ

 使徒の働き7章の後半には、ステパノが殉教したことが記されています。しかし、使徒の働き8章を見るとわかりますが、ステパノのことで激しい迫害が起こりました。なぜなら、ギリシャ語を話す道の者たちは、ユダヤ教にとって危険だと分かったからです。サウロ、後のパウロが先頭に立って、道の者たちを迫害し始めました。使徒8:4-8「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。

群衆はピリポの話を聞き、彼が行っていたしるしを見て、彼が語ることに、そろって関心を抱くようになった。汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行き、中風の人や足の不自由な人が数多く癒やされたからである。」使徒たちはエルサレムに留まる事が出来ましたが、ギリシャ語を話す信徒に迫害が及びました。その中に執事のピリポがおり、サマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えました。ユダヤ人はサマリア人をとても嫌っていました。何故なら、サマリアは北イスラエルの首都であり、紀元前723年にアッシリヤに滅ぼされました。アッシリヤはそこに住んでいた人たちを外国に連れ去り、代わりに5つの異民族を住まわせ、二度とその国が復興できないようにしました。それ以来、サマリアは霊的な混血になり、ユダヤ人からとても軽蔑されていました。しかし、ヨハネ4章にはイエス様が井戸のそばでサマリアの女性に個人伝道した記事が記されています。その女性は生ける水をいただいて、サマリアの町へ行って、キリストのことを知らせました。すると、サマリアの町の人たちがイエス様のところにやってきて、信じたという記録があります。その時イエス様は「あなたがたは、『まだ四か月あって、それから刈り入れだ』と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています」と言われました。

つまり、「刈り入れ」というのはピリポのサマリア伝道によって大いなるリバイバルが起こるという預言です。でも、イエス様はピリポが来る前に、ある程度の収穫を与えておられたのです。ピリポが執事であったから良かったのです。もし、使徒たちでしたら、「ムリ―」とか言って、福音を宣べ伝えなかったでしょう。かつて、ヤコブとヨハネはイエス様を通してくれないサマリアに対して、「主よ。私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか」(ルカ9:54)と言ったくらいですから。イエス様から「ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで」(使徒1:8)という預言を受けていたのですが、それを実行したのは執事のピリポでした。でも、積極的に行ったわけではなく、迫害によって散らされたのでサマリアにやって来たのです。でも、ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えました。すると信じられないことが起りました。なんと、サマリアの人たちはピリポの語ることに耳を傾けました。さらには、汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったのです。パウロが言う「宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れ」(Ⅰコリント2:4)があったのです。まさしく、イエス様が12人、72人を遣わしたときのような、癒しと奇跡の伴う宣教でありました。でも、まもなく霊的な戦いが起こりました。これは宣教師たちがよく体験していることです。以前からサマリアの町にシモンという魔術師がいました。彼は魔術によって人々を驚かして、小さな者から大きな者に至るまで惑わしていたのです。でも、人々がピリポの福音を聞いて、イエス・キリストを信じたとき、大きな喜びが起こりました。魔術では得られなかった、大きな喜び、そして解放がありました。この続きがあります。使徒8:12,13「しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行われるのを見て、驚いていた。」シモン自身も信じて、バプテスマを受けたのです。すごい。ピリポは、魔術に勝利したのです。なぜなら、神の霊、聖霊によってミニストリーをしていたからです。

その後、エルサレムからペテロとヨハネが遣わされてきました。使徒8:15-17「二人は下って行って、彼らが聖霊を受けるように祈った。彼らは主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだ、彼らのうちのだれにも下っていなかったからであった。そこで二人が彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」ピリポは執事でありましたが、使徒たちのような働きをしました。しかし、彼は実のところ使徒ではありませんでした。使徒の役目とは何でしょう?教会の基礎を据えることです。「使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。」(エペソ2:20)とあります。現代の教会も、使徒たちの教えと権威の上に立っていると言っても過言ではありません。ローマ・カトリックはペテロが首長だと言っていますが、私は「教会は使徒たちの教えと権威を継承している」と信じています。ところで、面白いことが起りました。水のバステスマは執事ピリポが授けました。しかし、使徒たちが手を置くと、彼らは聖霊を受けたのです。すると、「ああ、聖霊が下った」ということが、だれの目にも明らかになりました。だから、魔術師シモンが「この権威を私にも下さい」と金を差し出して願ったのです。でも、ペテロから厳しく叱られることになりました。重要なのは、信徒である執事が水のバプテスマを授けているということです。そして、使徒には使徒の権威があり、按手をすることによって聖霊が上から下りました。厳密に言いますと、彼らがイエス・キリストの御名によって信じたとき内側に聖霊が与えられ、新生したということです。次に、使徒たちが彼らの手を置いて祈ったら、聖霊のバプテスマを受けました。これはルカ24章の終わりに記されている「いと高き所から力を着せられる」という意味です。同じようなことが、使徒の働き19章にも記されていますが、このときは使徒パウロがエペソの人たちの上に手を置いて祈りました。すると、彼らに聖霊が臨まれ、異言や預言をしました(使徒19:6)。

 しかし、サマリアのリバイバル、つまり霊的復興はピリポによってもたらされたことは確かです。彼が執事として選ばれたとき、「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち7人」の一人でした。また、彼はギリシャ語を話すユダヤ人の一人でした。ヘブル語を話すユダヤ人と比べ、過去の伝統に縛られない合理的な人だったからでしょう。「合理的」というのは、キリスト教を否定するあまり良い表現ではありませんが、新約的と言った方が良いのかもしれません。イエス様は弟子たちに「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)とおっしゃいました。でも、その民族的な壁を乗り越えるのは容易なことではありませんでした。使徒ペテロをはじめ、ヘブル語を話すユダヤ人たちは人が救われるためには、モーセの律法を守り、割礼をはじめとする宗教的な義務を負う必要があると信じていたからです。その先駆けとなったのはピリポに間違いありません。使徒ではなく、偏見のない執事ピリポだったのでできたのかもしれません。

私たちはリバイバリスト、つまりキリスト教の霊的復興のためには大伝道者や教職者が必要だと思うかもしれません。しかし、歴史を振り返りますとそうでもない人たちが大勢活躍しています。後の人たちが、「ああ、あの人は偉大なリバイバリストだ」と言うのです。たとえば、アメリカの第三次覚醒の中心人物はD.L.ムーディであります。ウィキペディアに彼のことが書かれていました。「彼の最大の特徴は、神学教育はおろか、まともな学校教育も受けて来なかった点にある。欧州由来の伝統的なキリスト教社会では神学の知識は宗教的指導者にとって重要な要素であった。しかし、福音主義に基づくアメリカでは既に第二次覚醒において、例えばチャールズ・フィニーが、教えの正しさは「実践の場で使えるかどうか(どれだけ人を救えるか)」と論じるなど、神学的な厳密性は重要視されなくなっていた。それでもフィニーはまだ元弁護士であり、基礎教育のほか、弁護士として弁説の訓練もしていたが、ムーディにはそれも無かったという点が、それまでの福音主義の伝道者とは大きく異なっていた。ムーディは無学だったものの、回心を得てからは叔父の影響で敬虔な生活を送り、やがてシカゴにおいてビジネスで成功を収める。そこから、貧困層のためにスラム街に日曜学校を開き、市長との交渉や「日曜学校債」の発行といった手段で、これも成功に導き、慈善活動家として有名となった。1860年には、成功したすべての事業を手放して資金を用意するとそれを元手に伝道活動や慈善活動に専念するようになった。」ムーディは偉大な信徒伝道者でした。信徒で執事であるピリポがサマリヤにリバイバルをもたらしました。神さまにとって資格や身分は関係なく、どんな人でもご自分のために用いられるということです。

2.伝道者ピリポ

 ピリポはやがてサマリアの西、カイザリヤに住みました。ローマに行く前にパウロが彼の家に立ち寄りました。使徒21:8、9「翌日そこを出発して、カイサリアに着くと、あの七人の一人である伝道者ピリポの家に行き、そこに滞在した。この人には、預言をする未婚の娘が四人いた。」このところで、はっきりと「伝道者ピリポ」と呼ばれています。彼は7人の執事の一人でありましたが、やがては伝道者になったということです。話は、使徒8章に戻ります。ペテロやヨハネがエルサレムに帰りました。使徒8:26「さて、主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」そこは荒野である。」ピリポがいた所から、カンダケの高官がいるところまでは約80キロメートルあります。そして、途中からカンダケが乗っている馬車と並走して走っています。使徒8:27-31「そこで、ピリポは立って出かけた。すると見よ。そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われた。

そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが分かりますか」と言った。するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。」なんという行動力でしょうか?あるところで馬車に乗ったかもしれませんが、80キロと言ったら、マラソンの距離の約2倍です。

 この人物は、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピア人でありました。彼は異邦人でありながら、イスラエルの神を信じていました。残念ながら、宦官だったので、ユダヤ教徒にはなれなかったと思います。しかし、飢え渇きはありました。彼はイザヤ書の53章を呼んでいました。その預言者がだれのことを言っているのか分かりませんでした。御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われました。ピリポは馬車と並走して走りました。すると、彼がイザヤの書を読んでいるのが聞こえました。聞こえるものでしょうかね?とにかく、呼びかけました。「あなたは、読んでいることが分かりますか」と言いました。すると「導く人がいなければ、どうして分かりましょう」と答えがありました。宦官は馬車の上から話し、ピリポは走りながら話しています。それではラチがあきませんので、宦官は馬車に乗るように勧めました。そして、馬車の上で開かれているイザヤ書の意味を教えてあげました。ほふられる小羊とは、まさしくイエス・キリストのことでありました。使徒8:35「ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。」すばらしいです。ピリポは「イザヤ書53章の苦難のしもべは、十字架にかかられたイエス・キリストである」と宣べ伝えたのです。それで宦官は信じて、救いをいただきました。ピリポはサマリアでも人々にキリストを宣べ伝えました。今度は、エチオピア人の宦官です。なんと、アフリカのエチオピア人がイエス様を告白して救われました。それで終わりではありません。使徒8:36,37新改訳第三版「道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。『ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。』そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。」ピリポはサマリアでもバプテスマを授けていました。こんどは、エチオピアの宦官にバプテスマを授けました。彼はその時はまだ執事です。「何の権威があって」と今日の教会は文句を言うでしょう。エチオピアの宦官は洗礼準備会もしていません。牧師や他の役員の承認も得ていません。でも、そこに水があったので、バプテスマを施しました。おそらく、水たまりではなく、流れる小川があったのかもしれません。「信じただけで良いのではないか、バプテスマまで授ける必要があるのか」という文句も出るかもしれません。でも、マルコ16:16「信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」とあります。これは信じたらバプテスマを受けるのが当然であるという意味です。言い換えるとバプテスマを受けて、伝道が終了し、これからクリスチャン生活に入るということです。なぜなら、バプテスマは古い人に一度死んで、新しい人によみがえることだからです。

 この後を見ると、どうでしょう?使徒8:39,40「二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰って行った。

8:40 それからピリポはアゾトに現れた。そして、すべての町を通って福音を宣べ伝え、カイサリアに行った。」宦官は、救いわれた証拠に喜びがありました。彼はおそらく、エチオピアに帰ってキリスト教を伝えたと思います。歴史的な資料が残っていませんので定かではありません。ピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行きました。第二のポイントで学びたいのは、聖霊によって走る伝道者ピリポのことです。彼は足を使って福音を宣べ伝えました。ローマ10:14,15「しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。『なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は』と書いてあるようにです。」ピリポから学ぶべきことは、福音を聞いたことのない人のところへ出かけて、福音を宣べ伝えたことです。これは私が最も反省すべき事柄です。私の賜物は牧師であり、説教者です。伝道者の賜物がありません。だから、知らない所へ行って、福音を宣べ伝えるのは、ものすごくストレスになります。そのため、もっぱら、教会に来た人たちに福音を宣べ伝えています。でも、これだと聖書的ではありません。マタイ28章には「それゆえ、あなたがたは行って」と書いてありますし、マルコ16章には「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」と命じられています。これらのみことばには、「牧師だとか信徒」、あるいは「賜物があるとか賜物がない」ということは書かれていません。この2つがイエス・キリストのクリスチャンに対する大命令であることは知っています。でも、教会に人々が来るのを待っています。これで良いのでしょうか?

 私はこのとき、たまたま、ある本を読んでいました。そこにはこのような問いがありました。「どのようにしたら聖霊に満たされ、大胆にキリストを証することができるのですか?」私は「だれかからお祈りしてもらうか、聖霊が直接、私の上にやってくることです」と書きました。私は答えを書きながら、「私が福音を伝えることに臆病なのは、聖霊に満たされていないからなのではないだろうか?」と思いました。私はこれまで何度も否定されてきて、福音を伝えるのが臆病になっていました。かつては聖霊に満たされて、恐れないで福音を伝え、病を癒しました。でも、今はどうでしょう?非常に弱気です。使徒1:8「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」と書いてあります。弟子たちはペンテコステの日、約束の御霊を上からいただいて、別人になりました。迫害や死ぬことも恐れずに、福音を宣べ伝えに行きました。「やっぱり、私は聖霊に満たされていないのだ。かつては満たされていたかもしれないが、今はどうではない。その証拠に、出て行って福音を宣べ伝えていないじゃないか。この説教はつらい説教になるな」と思いました。ピリポは伝道者です。私たちはたまに伝道者から発破をかけられないと出て行って福音を宣べ伝えることをしません。「出て行きなさい」とお尻を叩いてもらうしかありません。その時、ピリポは、まだ執事でした。後に伝道者になりました。その後、伝道の実が現れたので「あなたは伝道者だ」と言われたのでしょう。

 ピリポから学ぶことは何でしょうか?ピリポは「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち7人」の一人でした。使徒8章を見ると、ピリポは迫害の結果、サマリアの町に下ってきました。ここには「ピリポは聖霊によって語った」とは書いていません。ピリポにとってイエス・キリストの御名を伝えることは当たり前のことだったのでしょう。エチオピアの宦官のときは、確かに聖霊が「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われました。その後は、「導く人がいなければどうして分かりましょう」と頼まれたので、その聖句からイエス様のことを彼に宣べつたえました。ピリポはイエス・キリストの御名を伝えることを全く恥じていません。全く、自然のことでありました。私たちは「福音を宣べ伝えなければならない」と律法的になり、力んでしまうとなかなか口が開きません。そうではなく、私たちの愛するイエス・キリスト、救い主の御名をもっと自慢すべきであります。自分の中にイエス様に対する信仰と希望と愛が溢れてくるなら、宣べ伝えずにはいられなくなるでしょう。確かに日本はキリスト教に対して偏見があるので、嫌な思いをするかもしれません。不思議なことに、福音は宣べ伝えれば、宣べ伝えるほど情熱が湧いてきます。不思議なことに、喜びの方が嫌な思いに勝るのです。パウロは「時がよくても悪くても」と言いました。ある訳では、「シーズンでも、オフシーズンでも」です。時が良くても悪くても、とにかく福音を宣べ伝えましょう。