2021.6.6「思いの変革 コロサイ3:15-17」

 ローマ12:2「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」日本語の「心」は、原文のギリシャ語でヌースであり、heartではなくmindです。ですから、これを正確に訳すと、「思いの一新によって自分を変えなさい」となります。人はキリストを信じると聖霊によって生まれ変わります。これを「新生」と言って、霊的に生まれ変わるということです。しかし、私たちの「思い」まで生まれ変わるかというとそうではありません。ローマ12章は、新しく生まれ変わった人に対する、次のメッセージです。

1.思いのゆがみ

 ギリシャ語のヌースは、「思い、考え、知性、思考」という意味です。人間の魂は心とも言われていますが、知性、感情、意志の3つでできています。最近、「認知行動療法」ということばを良く聞きます。心理学者たちは、「その人の認知、つまり思いや考えがゆがんでいるので、その結果、間違った感情が出てしまうんだ」と言うのです。そこで、その人の認知(ものの捉え方)を変えたら良いのではと主張します。私もメッセージでそのようなことを何度も語ったことがあります。きょうは、心理学的な方策ではなく、聖書から学びたいと思います。私たちの思いは完璧ではありません。必ず何らかのゆがみをもっています。つまり、ゆがんだメガネをかけて、物事を見ているということです。お互いにゆがんでいるので、1つの出来事をいろんな見方で捉えてしまうということです。聖書はあなたの「思いを変革せよ」と言っているのはそのためです。ちなみに、「変革せよ」はギリシャ語でメタモルフォゥであり、さなぎが蝶になる変化、transformであります。私たちは霊的に救われた後、思いを変革させられる必要があるんだということです。

 私たちの思いや考えはどのようにしてできるのでしょうか?言い換えると、ゆがんだ思いを持ち込んだ要因は何でしょうか?ニール・アンダーソンは“Renewing your mind”で、その原因は2つあると言っています。第一は育った環境による知性の吸収です。幼子に最も影響を与えるのは母であり、父です。彼らは子どもを養育していくうちに、しつけをしたり、いろんなことを教えます。子どもは吸い取り紙のように、いろんな情報を吸収するでしょう。その次に影響を与えるのが、同じ家に住む「きょうだい」です。もし、下の子どもであれば、兄や姉から影響を受けるでしょう。さらには、近所の子どもたちや、学校の友だちから影響を受けます。どうすれば、周りから歓迎されるか、なぜ、喧嘩や争いが生まれるのか、仲間はずれされないためにはどうしたら良いのか、体験を通して学びます。さらには、学校の先生や教科書、その人が読んだ本や、接してくれた人生の先輩から知識を吸収します。現代では、テレビやインターネット、まんが、映画…いろんなメディアを通して、いろんなことを学びます。日本、韓国、アメリカ、ヨーロッパ…生まれた国の文化や価値観も吸収するでしょう。私は韓国を何度か訪れたことがあります。第二次世界大戦の戦争記念館があり、日本兵がいかにひどいことをしたか、絵や写真、模型まで展示されています。学校の遠足のコースでもあり、小さい時から「日本は悪い、敵国だ」ということを学ぶわけです。ですから、長い年月がたっても、日本に対する恨みが消えません。

 みなさんは親からどのようなしつけや教育を受けたでしょうか?それは、子どもにとって価値判断の基準になります。私の父は「人を利用してでも良いから偉くなりなさい」と立身出世を説きました。8人兄弟の7番目に育ちましたので、「人に負けてはならない」というcompetition競争精神が身に付きました。小中学校では人に負けないように一生懸命勉強しました。しかし、高校に入ったら挫折してしまいました。それまでは理科が得意科目でしたが、物理とか化学は全く違った世界で、歯がたちませんでした。運動会では1位に絶対なれませんでした。普通だったら勝てるはずなのに、「負けちゃならない」と緊張しすぎるので、体がこわばって走れないのです。ですから、私の思いは「劣等感、劣等意識」にゆがめられていました。ですから、どうしても人と比べて、勝っているか劣っているか考えてしまいます。クリスチャンなってから、ひとり一人は固有であり、自分には自分の走るべきレースがあると知ってから、随分と楽になりました。昔は「教育ママ」ということばが流行りました。遊ぶ暇もないほど、勉強させられた人もいるでしょう。また、親から業績指向を叩き込まれ、高学歴、高収入を目指して生きてきた人もいるのではないでしょうか?そういう人は、エリート・コースを順調に進めば良いですが、病気や失敗で、一度挫折したなら立ち直れないかもしれません。そうでなくても、毎日プレッシャーの中で生きています。うつになるか、お酒や何かの依存症になる恐れがあります。日本は10人に1人がうつをはじめ、何らかの精神疾患と戦っていると言われています。うつの反対は、外部に対する怒りとして現れます。だれかが、スイッチを押してくれると怒りが爆発してしまいます。

 第二に、思いにゆがみを与えるのはトラウマ経験です。トラウマの1つの定義は、私たちのコントロールを超えて起きた出来事によってもたらされた、極度の恐れや恐怖感、無力感です。ニール・アンダーソン師は、「人はトラウマ的な体験を通して、精神的な要塞を発達させてしまう」と言っています。たとえば、幼いときに親が死んでしまった、あるいは離婚した。精神的、もしくは肉体的な虐待を受けたというケースがあります。トラウマ的な体験がその人を縛るのではありません。私たちはトラウマを受けた結果、何らかの嘘を信じてしまいます。その嘘が私たちを縛り、それが要塞となるのです。トラウマを受けた人たちはどのような嘘を信じるのでしょうか?「もう、だれも信じてはいけない。頼れるのは自分だけだ」「私は愛される価値のない人間だ」「大事なものは人に任せてはいけない」「人生は空しく、苦しみに満ちている」「私は絶対成功しない」。その嘘が、やがてその人の要塞になります。要塞は、もともと軍事用語であり、敵の攻撃に耐え、反撃を行ないます。心の要塞とは、絶対変えられない固定した考えです。堅い信念とも言えますが、がっちりと防備が固められ、その人の心を変えるのが困難です。多くの場合、悪魔がその要塞を手助けしています。なぜなら、悪魔は嘘つきであり、その人を真理から遠ざけています。だれかが、その人を救ってあげようと、要塞に近づくと、全精力をあげて攻撃されるでしょう。

 「私には要塞なんかない」と思っている人がいるかもしれません。要塞は考え方の習慣であり、一定の型、パターンを持っています。ある人たちはそれを「肉的なパターン」と呼んでいます。それらの要塞には、強烈なトラウマ体験の記憶が心に焼きつけられています。心理学者たちは、それを防御のメカニズムと呼んでおり、キリストには似付かない、激しい気性として現れると言っています。それらはまるで、ぬかるみの道路にできたタイヤの跡のようです。車が同じところを通ると、それは轍になり、深い溝になります。後から来た車が轍にハンドルをとられ、どうしても、轍に沿った走り方をしてしまいます。まるでそれはコンピューターに組みこまれたソフトのようであり、自動的に働きます。自分はそうしたくないと思っても、同じように反応し、同じような行動をしてしまいます。他の人は意地っ張りだとか、頑なだとか言うかもしれません。残念ながら、他の人のことはよく分かりますが、自分のことになるとさっぱりわかりません。なぜなら、ずっとそのように生きて来たからです。今更、考えのパターンを変えることは、労力の無駄という感じがします。多くの人たちは、諦め、「これが自分の生きる道」と開き直っています。

 ニール・アンダーソン師は不健全な性格がどのように形成されるか、1つの例をあげています。父親がアルコール中毒で、酔っ払って家に帰ってきました。長男は酔った父に対抗して、「やめろ」と言いました。次男は父に順応して、むしろ父をかばいました。一番下の兄弟は、その場から逃げて隠れました。20年後どうなったでしょう?3人の兄弟たちは、敵意ある状況に直面させられました。長男は戦い、次男は順応し、三男は逃げて隠れました。心の要塞は、一定の環境に置かれたとき、同じように行動してしまいます。私の父は酒乱で、あばれては母や私たち子どもを殴りました。長男は父に対抗し家を出ました。次男は父を擁護しました。三男は怒りを自分の中に溜め込みました。四男の私は逃げて隠れました。私の心の要塞は、恐れです。力ある者が私に対して不当なことをした場合、私は固まってしまい、何も抵抗ができません。弁明したり、対抗することもできず、とにかくその場から逃げ去ります。後から、怒りと憤りが湧いてきます。でも、「その時、なぜ言えなかったのだろう?」と不思議に思います。エリヤハウスのテアさんの証です。人がトラウマに会うと心臓が止まってしまったような状態になります。そのときに、だれかが来て、そこにもう一度、命を吹き込んであげなければなりません。心臓を開ける手術のときに、私の兄弟のティムがそこに立ち会うことができました。患者の心臓は、鼓動をやめていました。しかし、もう一度、心臓を動かすために、医療スタッフがいろいろ手を尽しましたが、心臓を動かすことができませんでした。患者は意識のない状態でしたが、その最中、一人の外科医が、患者の耳の中に向けてこのようにささやきました。「あなたの助けが必要です。あなたの心臓を私たちは動かすことができません。自分の心臓にもう一度、動くように言ってください」。驚くようなことですが、そのとき、患者の心臓が動き始めました。トラウマの癒しというのは、私たちの心臓がもう一度、動き始めるようなものです。私たちの心臓をもう一度、動かさなければなりません。あなたの決意といのちを吹きこんでくださるキリストの助けが必要です。

2.思いの変革

 私たちの思いを変えるために必要なのは、真理のことばです。私たちは生い立ちにおいてこの世の知識を吸収しました。そのほとんどは、人間的であり無神論から来たものです。また、私たちが受けたトラウマによって、私たちは嘘を信じ込まされました。そこには内なる誓いがあったかもしれません。それらはやがて、要塞となり、どんな真理も受け入れない強固な砦となりました。これまで、神さまはいろんな機会を与えて、あなたに愛を注ぎ、真理のことばを投げてきました。ある時、決定的なことが起りました。なんと、イエス・キリストを信じて霊的に生まれ変わることができました。その人がどんな神から離れた知識があろうとも、どんな堅固な要塞があろうとも、あなたの内に聖霊が宿りました。外側の知性はともかく、あなたの一番奥の部分である霊が生まれ変わりました。そこに、神の霊である聖霊がやどりました。それ以来、あなたの中に戦いが起こりました。御霊に従うか、それとも肉の考えに従うか、絶え間のない戦いが始まりました。せっかく、イエス様を信じて救われて「ハレルヤ!」と天まで上るような喜びがありました。しかし、まもなく反撃が始まりました。あなたの自我が「それで良いのか?お前が信じてきたものは何だったんだ。そんなに簡単に明け渡して良いのだろうか?イエスというヤツはそんなに偉いのか?」と訴えてきます。そうです。「イエス様は救い主です。イエス様は私の主です」と告白したはずです。でも、よく見たら、全部を明け渡してはいなかったのです。魂を構成している考えが変わっていませんでした。うわべでは素直に見えても、考えがとても頑固です。パウロは、「思いの一新によって自分を変えなさい」と命じています。言い換えると、「これまでの考えを新しいものに取り換えなさい。要塞を取り壊して、真理のみことばに置き換えなさい」と命じているのです。私たちの考えが変革させられるためには、どうしたら良いのでしょうか?

 何よりも必要なのは気づきです。多くの場合、私たちは否認しています。「大丈夫、問題ありません」と言って、心に蓋をしているのです。堅固な要塞が、木や植物を植えて、カモフラージュしているのと同じです。上は美しい森であるかもしれません。しかし、地下には巨大は要塞が隠れています。でも、ときどき、あなたがかっとなって怒ったり、気落ちしたり、無気力になるのはなぜでしょう?それは、だれかがあなたのボタンを押したからです。その感情は、ゆがんだ考えあるいは、未解決なトラウマから来ています。ニール・アンダーソン師は、2つの大学の学生たちを調査しました。そこには5つの悪感情がありました。第一は落ち込み、第二は不安、第三は怒り、第四はTormenting Thoughtsです。Tormentは拷問の責苦です。これは「思い詰める」という意味です。第五は否定的な習慣であり、何かの依存症です。第六は自己価値です。アメリカ人と日本人は同じでないかもしれません。日本人は恥の文化ですから、恥を受けたことに対する憤怒、怒りがあるかもしれません。怒りを外に出さないで、ためておくと、落ち込み、鬱になるそうです。いずれかあてはまるものがあるなら、立派な該当者です。でも、聖書の基準と照らし合わせて、ゆがんだ考えのない人はいないと考えて良いでしょう。問題は、それを素直に認めて、変える意思があるかどうかです。ちなみに、考えを変えることを悔い改めと言います。「悔い改め」の本当の意味は、change of mindだからです。

 どのようにして私たちの思いを変えることができるのでしょうか?二つ紹介します。第一に真理のことばを心に入れて、従来の考えと取り換えることです。詩篇119篇は神のみことばを賛美している書物です。詩篇の記者はみことばをこころに蓄えると言っています。詩篇119:9,11「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。…あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。」このみことばを新約聖書がこのように拡大しています。コロサイ3:16「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め…」。住まわせるということばは、ローマ7章にもあります。パウロは「ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私の内に住み着いている罪なのです」(ローマ7:17)と言っています。パウロが述べていますが、みことばが住む前に、先客がいるということが分かります。住み着いている罪を追い出し、新たに神のみことばを入れる必要があります。しかし、コロサイ人への手紙は「キリストのことば」と書いており、単なる神のことばではありません。なぜ、キリストのことばなのでしょうか?1つ手前の、コロサイ3:15「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。」とあります。「支配する」というもとの意味は、「仲裁する、調停する」です。では、どのようにキリストのことばを住まわせるのでしょうか?それは、あなたの心をキリストによって仲裁していただくということです。つまり、キリストが間に入ってもらって、神のみことばに置き換えていただくということです。もちろん、あなたの決心も必要ですが、キリストがあなたの怒りや悲しみ、憂いを受け止めて、あなたの考えが変わるように助けてくださるということです。コーヒー色した汚い水を、透明な水にするにはどうしたら良いでしょうか?簡単です。透明な水を注ぎ続けるのです。そうすれば、だんだんと色が薄くなり、やがて透明になります。

 第二番目は神さまを礼拝することです。コロサイ3:16後半から17節。「詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」神さまを賛美し、感謝し、歌うことは礼拝を意味します。心の暗闇を追い出す、最も良い方法は何でしょう?暗闇を吸い込む掃除機があれば良いと思いますが、無理です。最も良い方法は、光を灯すことです。光を灯すと自動的に暗闇は追い出されます。イエス様は「私は世の光である」とおっしゃいました。私たちがイエス様を礼拝するとき、イエス様が光として心の中にあふれてくださいます。コロサイ3章には、礼拝の要素が記されています。詩というのはみことばをとなえることです。賛美とはみことばにメロディをつけることです。霊の歌とは、即興的なものであり、歌詞もメロディも即興的なものです。それらを感謝にあふれて心から神に向かって歌うのです。さらに、ことばと行いによって、主イエスの名によって父なる神さまに感謝します。これがトラウマによく効きます。

 トラウマは忘れた頃にやってきます。心の奥深くに沈められたボールのようです。何かのきっかけで、ポコッと浮かんできます。だれかから裏切られたこと、失敗して恥をかいたこと、ある人から虐待されたこと、喪失の悲しい出来事…嬉しいことではなく、いやーなことが浮かびます。それがトラウマから来るものです。ある人は、「そうだ、そうだ。そういうことがあった」とビデオを見るように再生します。再生回数が多くなると、それだけ轍も深くなります。そうではなく、あなたはリモコンを持っています。さっと、チャンネルを変えるのです。そして、言いましょう。「イエス様あなたを賛美します」「ハレルヤ!主よ、感謝します」何でも良いのです。主の御名を呼びましょう。使徒2:21「しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる」と書いてあります。これは誘惑にもとても効果があります。かなり前に、インドネシアのエディレオが教えてくれました。男性は性的な誘惑を一日、何百回も受けるそうです。道ばたを歩いていても、電車に乗っても、職場でも…追い出しても、追い出してもやってきます。そのときは、「イエス様を礼拝しなさい」と教えてくれました。「おお、イエス様感謝します」「ハレルヤ!イエス様感謝します」。男性の方が女性よりも多くの誘惑を受けます。しかし、男性に生まれたことを感謝しましょう。それだけ、イエス様を礼拝する回数が増えるのですから。私も朝夕、散歩をしています。トラウマも来るし、誘惑も来ます。昔のイヤなことが浮かんできます。でも、「イエス様、あなたを礼拝します」と手を合わせると、パッと消えてなくなります。手を合わせるのは仏教的かもしれませんが、私にはとても効果があります。

 箴言4:23「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」私たちは心を守る必要があります。この世の中にはいろんな情報が飛び交っています。テレビやスマホ、インターネットの中毒になる人がたくさんいます。私たちの心はコンピューターと同じです。ゴミを入れるとゴミが出てきます。また、コンピューターの最大の敵はウィルスです。ウィルスに感染するとソフトもデータも壊れます。そのためには、私たちは聖書を良く読んで、神さまを礼拝しましょう。そうすれば、どれが間違った情報かよく分かります。また、パウロはこのようなものを心に留めなさいと勧めています。ピリピ4:8「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」アーメン。ここには神さまが喜ばれる8つの徳が記されています。世の中の不正や汚れや不条理に心を留めてはいけません。テレビのニュースも、コメンティターの話もほどほどにする必要があります。パウロは「さらにそれらの徳を実行しなさい。そうすれば身に付く」と言っています。ピリピ4:9「あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。」みことばを実行していけば、さらに思いが変革され、古い轍ではなく、新しい轍ができてきます。アーメン。