「急がば回れ」とは、「急いで物事を成し遂げようとするときは、危険を含む近道を行くよりも、安全確実な遠回りを行くほうがかえって得策だ」という意味のようです。しかし、私は「神さまはあえて、遠回りと思えるような道を歩ませる」と解釈したいと思います。数学では、二点の最短距離は直線であると言いますが、人生に関してはそうではありません。山あり谷あり、紆余曲折こそが、人生につきものと言えるでしょう。私たちは、目的地への道が最短距離であることを願いますが、神さまの導きはそうじゃないということがあります。
1.パウロの例
使徒の働きにパウロの伝道旅行が記されていますが、最も不可解なのは、ローマへの旅です。パウロはコリントから「ローマにぜひ行きたい」という手紙を出しています。もし、コリントからローマに直接行けば、何の問題もなかったでしょう。ところがパウロが取った旅路は、エルサレム経由、ローマ行きでした。貧しいエルサレム教会に集めた献金を届けてから、ローマに行きたいと願いました。しかし、ツロの信者たちは、御霊に示されて「エルサレムに上らないように」しきりに忠告しました(使徒21:4)。パウロの一行は、ツロからトレマイ、さらにカイザリヤに着きました。伝道者ピリポの家に滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下ってきました。使徒21:11-12 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って言った。「聖霊がこう言われます。『この帯の持ち主を、ユダヤ人たちはエルサレムでこのように縛り、異邦人の手に渡すことになる。』」これを聞いて、私たちも土地の人たちもパウロに、エルサレムには上って行かないようにと懇願した。「私たち」というのは著者であるルカも反対したということです。このところを見ると分かりますが、預言者が聖霊によって語った、預言であります。「エルサレムに上ったら、ユダヤ人からこのように縛られ、異邦人に渡されますよ」とはっきりと預言してくれたのです。私だったら絶対、エルサレムには上りません。でも、パウロが聞き入れようとしないので、ルカたちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまいました。一見、神の御霊に逆らったように思えます。
使徒21:17からパウロがエルサレム教会を訪問したことが記されています。問題は、エルサレム教会の長老たちの勧めで、誓願を立てるために神殿に入ったときです。ユダヤ人たちは「パウロが4人のギリシャ人を連れて神殿に入って、神聖な場所を汚した」と咎めました。これが大騒ぎとなり、パウロが捕えられました。それからパウロはローマの千人隊長に渡され、議会で裁判にかけられます。パウロは「私はローマ市民なので、カイザルに上訴します」と言いました。そのため、パウロは囚人として、ローマに行くことになります。その途中、アグリッパ王の前での弁明、二年間の監禁、船の難破、九死に一生を経て、ローマに着きます。そこでも囚人として拘留されたまま、裁判を待ちました。数年後、ネロによって殺されてしまいました。私はどうしてパウロは「エルサレムには行くな」という預言に従わなかったかと思います。何度も言いますが、私だったら、「コリントからローマ教会に行って、イスパニヤ、そして地の果てにまで行くのになー」と思います。本当に、それが主のみこころだったのか、疑問に思います。でも、良く調べてみると、それこそ「急がば回れ」なのかもしれません。本来、「急がば回れ」は、「危険を含む近道を行くよりも、安全確実な遠回りを行く」という意味です。でも、パウロはあえて「危険を冒して遠回りの道」を行ったのですから、このことわざは当てはまらないかもしれません。
囚人としてローマのカイザルのもとへ行くというのは、もしかしたら主のご計画だったかもしれません。聖書を見ると、いくつかその根拠をあげることができます。パウロがエルサレムの議会で裁判を受けた直後です。使徒23:11「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』と言われた。」つまり、パウロがエルサレムの議会で、証したことが主のみこころだったということです。パウロはこのあと、カイザリヤでアグリッパ王の前で自分の証をしました。彼は「私をキリスト者にしようとするのか」とパウロの弁明を中断させました。もし、コリントから直接ローマに渡ったなら、エルサレムとカイザリヤで主の証をすることがなかったでしょう。もう一つは、パウロが捕えられたゆえに、獄中から書簡を教会に出すことができました。パウロが書いた獄中書簡は、ピリピ、コロサイ、エペソ、ピレモン、第一テモテ、第二テモテです。もし、パウロが自由に宣教活動をしていたなら、そのような手紙を書くヒマがなかったかもしれません。拘束されていたからこそ、手紙を書けたのではないでしょうか?でも、これは私の推測であり、はっきりしたことは分かりません。パウロはピリピの教会にこのように書き送っています。ピリピ2:16「私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」パウロは全く、後悔していないということです。
もう一箇所、獄中書簡であるコロサイ人への手紙から引用したいと思います。コロサイ1:24「今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。」このみことばは、新約聖書で最も難解な箇所として知られています。「キリストの苦しみが欠けているのか?それをパウロが自分の身をもって満たしているのか?」と疑問を抱きます。この意味は、キリストの贖いにおける十字架の苦しみのことではありません。キリストの贖いは完全であり、私たち人間が補う必要は全くありません。パウロはキリストのからだ、つまり教会のために苦しむと言っているのです。パウロはキリストの囚人として、エルサレムからローマに渡りました。パウロは「神さま、福音宣教のために、やっているのにどうして不自由や苦しみを味わわなければならないのですか?」と文句を言えたはずです。でも、それらの苦難はキリストのからだ、教会のためであったということです。教会は福音宣教のために苦しむ必要があり、パウロがその幾分かを受け持ったということです。つまり、パウロが受けた不当な苦しみは無駄ではなく、教会が負うべき重荷であったということです。
2.遅延の訓練
遠回り、あるいは回り道は、言いかえると「神からの遅延の訓練」ということができます。自分が立てた計画はこうなのに、「こんなことが起るなんて、聞いてないよ!」と文句を言いたくなることが度々あるのではないでしょうか?でも、あとから振り返ると、「ああ、あのことがあって今があるんだ」と納得することが多々あります。聖書の人物は、もれなく神から遅延の訓練を受けています。モーセの誕生はイスラエルの叫びを主が聞かれたからです。モーセは王女の息子として育てられ、王子になりました。40歳、これからと言うとき、血気に走り、ヘブル人を救うため、エジプト人を打ち殺しました。モーセはパロを恐れて、ミデヤンの荒野に逃げました。そこで、羊飼いとなりました。40年もいたずらに過ぎ、モーセは80歳になりました。でも、このようなことばがあります。出エジ2:23「それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエルの子らは重い労働にうめき、泣き叫んだ。重い労働による彼らの叫びは神に届いた。」主はイスラエルのことを忘れたのではなく、ちゃんと準備していたのです。80歳のモーセはすっかり砕かれて、「私は一体何者でしょう?」と言いました。主はそういうモーセを用いることができたのです。無力になったモーセを、「私はある」と言われる主が用いることができたからです。このように、主は私たちが自分に頼らないで、主だけに頼る者になるまで、何年も何十年も遅延の訓練を与えるお方です。私は洗礼を受けて半年後に聖書学院に入学しました。有名な教授があるとき、教室に入るなり、「肉の匂いがプンプンする」と言いました。だれかが焼肉を食べたのではなく、肉的な人たちがたくさんいるとおっしゃったのです。まさしく、その筆頭が私です。その時、1年先輩であった遠藤京子さんがよーく知っていると思います。
信仰の父と仰がれているアブラハムはどうでしょう?主はアブラハムに「あなたの子孫を地のちりのようにならせる」と約束しました(創世記13:16)。それでも、なかなか子どもが生まれません。アブラハムは「親戚もしくは、奴隷が私の跡取りになるのでしょうか?」と言いました。そのとき主は「あなた自身から生まれ出てくる者が、あなたの跡をつがせなければならない」と言われました(創世記15:4)。その後、サラが「主は私が子どもを産めないようにしています。どうか、私の女奴隷のところにお入りください」とアブラハムに提案しました。アブラハムは「そだねー」と言って、ハガルのところに入りました。まもなく、イシュマエルが生まれ、家庭争議になりました。そのときは、アブラハムが86歳でした。なんと、それから13年間の沈黙がありました。いわゆる遅延です。アブラハムが99歳になった時、次の年、子どもが与えられると約束されました。そのとき、サラは「90歳の女が子を産むことができようか」と笑いました。主はそのことをご存じでした。生まれた男の子はイサク、「笑い」と名づけられました。私たちはアブラハムを信仰の父と尊敬していますが、彼も遅延の訓練を受けたということを知る必要があります。しかし、新約聖書はアブラハムをたたえ「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。…不信仰によって神の約束を疑うことはしなかった」(ローマ4章)と書いています。
遅延に失敗した人物は何と言ってもサウルでしょう。イスラエルの民は「外国のように私たちにも王様をください」と祭司サムエルに求めました。神さまが王であるのに、そのような求めは、あきらかに反逆行為です。まもなく、背が高くて美男子の青年が選ばれました。彼は何の苦労もしないで、イスラエルの最初の王になりました。その人こそがサウル王です。その当時、ペリシテが最強の敵であり、イスラエルを悩ましていました。ある時、戦いのためにいけにえをささげるはずのサムエルが来ません。人々はペリシテ軍がいつ攻め上って来るかびくびくしていました。待ちきれず、サウルがいけにえをささげました。その直後、サムエルが到着しました。サウルは定めた日から、7日間待ったのに、サムエルが来なかったのです。でも、いけにえをささげて戦いのために祈るのは、祭司であって、王ではありません。サムエルは何と言ったでしょうか?「愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、【主】が命じた命令を守らなかった。【主】は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。しかし、今や、あなたの王国は立たない。(Ⅰサムエル13:13,14)。その後、アマレクとの戦いがありました。主が「アマレク人を全部滅ぼせ、牛も羊も、らくだもろばも殺せ」(Ⅰサムエル15:3)と命じました。しかし、サウルは羊や牛の最も良いものを惜しんで、隠しておきました。そのため、主は、サウル王をイスラエルの王位から退けました。それでも、サウル王は10年以上もイスラエルの王として、君臨していました。悪い王の存在は、イスラエルの民に対する見せしめでもありました。
もう一人、ダビデも遅延の訓練を受けました。彼は17歳のとき、「次の王様はお前だ!」とサムエルから油を注がれました。ダビデはその後、しばらくは、父の羊を飼っていました。数年後、巨人ゴリアテを倒して、王宮に迎えられました。その後、ダビデは戦いという戦いに勝利を収めました。しかし、サウルは嫉妬に燃えて、ダビデを殺そうとしました。そのため、ダビデは荒野をさまよい、ほら穴で眠るという、逃亡者の生活を余儀なくされました。二回ほど、サウルを殺すチャンスが訪れました。でも、「主が油注がれた者に手を下してはならない」と家来に言いました。逃亡の生活がどのくらい続いたでしょうか?何と、13年間続きました。サウル王がペリシテ軍との戦いで死にました。そして、ユダの王になりましたが、ダビデは30歳でした。その三年後、ユダとイスラエルの統一国の王になりました。ありえません。「次の王様になるよ」と言われたから13年です。13年間、命を狙われ、荒野をさまよい、ほら穴で眠ったのです。ダビデは回り道、遅延の訓練を受けて合格しました。待つということはとても辛いことです。現代人は、待つということができません。自動販売機で10秒待って出ないと、機械を蹴飛ばすでしょう。パソコンも遅いとイライラして買い替えたくなります。詩篇130:5,6「私は【主】を待ち望みます。私のたましいは待ち望みます。主のみことばを私は待ちます。私のたましいは夜回りが夜明けを、まことに夜回りが夜明けを待つのにまさって主を待ちます。」待つことはとても地味であり、とても苦しいことです。でも、それは主の訓練であり、主が良しとされるときまで待った者こそが、合格点が与えられ、主がご用意されたものを得ることができるのです。
3.より困難な道
だれが言ったか忘れましたが、「楽な道と困難な道があるなら、あえて困難な道を選ぶがよい」と言いました。そのことが当てはまるいくつかの例をあげたいと思います。青森県の下北半島に生息する猿は、世界で最も北に生息していることから「北限の猿」と呼ばれています。なんとその猿は海岸に出て、貝や海草などの海産物を食べているそうです。なぜ、そんなに寒い所で生活しているのでしょうか?実は地図を見るとわかりますが、下北半島は鉞(まさかり)にみたいになっています。南に行くためには、一度、北に上って、それから南に下る必要があるのです。しかし、それは逆方向なので、猿たちは一番南の海岸線に留まっているのです。もう1つは「ポセイドン」という映画が昔ありました。ポセイドン号は豪華客船であり、4000人が乗っていました。大晦日の夜、盛大なパーティーが行われていました。しかし、新年を迎えた直後、ポセイドン号は突如現れた異常波浪による巨大な波の直撃を受け転覆しました。天地逆転したボール・ルームには、わずか数百名の生存者たちしか残りませんでした。彼らがどう脱出したかが、この物語です。その場所に留まっていると、機関室の火が回ってきます。唯一、助かる道は、一度、潜って、船底までたどり着く必要があります。なぜなら、船はひっくり返っているからです。でも、そこまで行くのに、息が続くか分かりません。多くの人たちは、「そんなの無理だ」とその場にとどまりました。しかし、数名が困難な道を選んで、助かったという物語です。もう1つは、アイガーの北壁を上る登山です。アイガーの北壁は、困難な三大ルートの1つとして知られています。そのため、多くの人たちが命を落としています。数年前、イモトさんがアイガーの北壁を上っているのをテレビ見ました。強風、雪崩がありますので、ルートを確保するのが大変です。直線ではダメで、横にトラバースを張りながら行くしかありませんでした。あるところからは、休憩が出来ず、一気に登るしかありません。見ていても気が遠くなりました。なぜ、あんなところに行きたくなるのか全く理解できません。
イエス様はある時からエルサレムに向かって進みました。ある時というのは、ペテロがイエス様を「あなたは、生ける神の子キリストです」と告白した直後です。マタイ16:21「そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。」エルサレムはイエス様ご自身が苦しみを受け、殺される場所です。するとペテロがこう言いました。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」とイエス様をいさめました。でも、それはサタンがペテロの口を借りて言わせていたことなのです。だから、イエス様は「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ」と叱ったのです。イエス様はバプテスマを受けた直後、悪魔から誘惑を受けました。3つとも、十字架なしで人類が救われる道でした。今回も、十字架にかからないで人類を救う安易な道でした。その後、イエス様は「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」と言われました。イエス様が歩まれた道は、より困難な道、つまり十字架への道です。エルサレムで命を捨てなければ、贖いを達成することができません。でも、その後、復活があり、昇天があるのです。しかし、それでは困るので、サタンは苦しみなしの近道を提示したのです。明らかに、ペテロの背後にはサタンの誘惑がありました。その後、イエス様は弟子たちに「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」と言われました。できれば、自分を主張しつつ、十字架を負わないで、気楽に従っていきたいものです。しかし、そんな楽な道は存在しません。子どもを育てた方はご存じだと思いますが、親は自分を捨てて、犠牲を払わないと無理です。「可愛い、可愛い」だけじゃダメなんです。これは奉仕にも言えることです。だれでも、お願いされると初めは喜んで奉仕します。しかし、「それじゃダメだ」とか注意されると、「何だよ、やってあげているのに」とむっと来てやめてしまいます。お金をもらっているなら、ある程度、「しょうがない」と我慢します。しかし、奉仕はそうじゃないので、簡単にプイと辞めることができます。イエス様を信じて、クリスチャンになるならすばらしい特権があります。罪赦され、神の子となり、たくさんの祝福が訪れるでしょう。でも、自分を捨て、自分の十字架を負い、イエス様に従わなければならない時もあります。ここで、その人の信仰が試されます。「ワンランク・アップ」というコマーシャルが良くあります。あなたがワンランク・アップのクリスチャン、つまりキリストの弟子になりたかったら、自分を捨て、自分の十字架を負う必要があるのです。言いかえるなら、弟子になるためにはコストがかかるということです。コストとは支払うべき犠牲です。辱めを受けたり、割が合わないことをさせられたり、プライドを傷つけられることもあるということです。決して楽な道ではなく、むしろ困難な道です。でも、その先には復活があり、義の実があります。
私たちはどうしても近視眼的であり、目の前のことしか考えません。そして楽で効率の良い方を選びます。しかし、永遠なる神さまは、もっと先の事までご覧になっておられます。たとえ行く先が困難で険しい道であっても、主のみこころを成し遂げるのにふさわしい道であったりします。アブラハムとロトが家畜の餌の問題でうまくいかなくなりました。アブラハムは甥のロトに選択権を譲りました。ロトはヨルダンの低地全体を選び取りました。なぜなら、主の園のように、エジプトの地のように、どこまでも良く潤っていたからです。「低地」と言うのが問題で、そこは主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったからそう見えたのです。一方、アブラハムは残りのものをいただきました。しかし、主は「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。私は、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。」(創世記13:14,15)と言われました。目を上げるとは、「主の視点で見る」ということです。目先のことではなく、もっと、遠くまで見通すことのできる目をいただきたいと思います。一見、困難で、手間のかかるような道が、主の道であるかもしれません。たとえ、それが最短距離でなくても、主が共にいて、導いて下さることを信じましょう。