これまで神のみこころを聖書から、あるいは聖霊の導きによって知ることについて学びました。どちらかと言うとこれらは、私たちの方から神さまに向かって行く生き方です。しかし、神さまは私たち一人ひとりに計画を持っておられ、そちらの方に私たちを引っ張っていこうとされることも確かです。私たちの誕生、救い、結婚、人生において成し遂げるべきことなど、大事なイベントがあります。この世の人たちはすべてが偶然であると考えています。でも、そんなことはありません。天地を創られた神さまは私たちに対するご計画、divine destinyをお持ちです。
1神の摂理
摂理ということばは、キリスト教会で独特な表現です。英語ではprovidenceと言います。ラテン語では、to look forward「先に見る」ということばから来ています。摂理とは、簡単に言うと、神の主権的な支配が万物に及んでいるということです。万物とは、宇宙全体、自然界、国々、諸民族、人間の誕生と生涯です。なぜなら、神さまは万物の創造者であられ、それらを保持し、ご自身の目的のために導き、かつ用いることが可能なのです。この世では、摂理とは、宇宙の法則、自然の法則のように捉えていますがそうではありません。ローマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」パウロは、「神を愛する人々、神のご計画に従って召された人々に」限定しています。だれにでも、すべてのことが益になるのではありません。特定の人たちにだけです。なぜなら、そのために全能の神さまが背後で働いておられるからです。摂理の反対のことばは、偶然です。英語ではcoincidenceです。これは、「はからずも、たまたま」という意味です。この世の人たちは、神の摂理など信じません。すべてが偶然の積み重ねだと信じています。生命が誕生したのも偶然です。そして、私たちが生まれたのも偶然、死ぬのも偶然だと考えています。結婚相手も配偶者と言いますので、「偶然に配給された」という感じがします。だから、すぐ別れるのです。神さまが「この人を与えてくれたのだ」と信じるなら、「他はないんだ」と諦めるしかありません。いや、「神が結び合わせた」という信仰に留まるしかありません。すると、そこに神さまが働いてくださいます。
ルツ記を見ますと、偶然なのか、神の摂理なのか考えさせられる箇所があります。ルツはモアブの未亡人です。ルツの義母のナオミは夫と二人の息子を亡くして、故郷のベツレヘムに帰ろうとしました。その時、ルツは故郷と自分の神を捨てて、ナオミについて行きました。しかし、もとの畑は他人の手に渡っていました。ルツは進んで、落穂拾いに出かけました。ここで神の摂理を思わせる表現が出てきます。ルツ2:3「ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。」と書いてあります。「はからずも」というのは、「偶然にも」という意味です。英語の聖書にもhappened「たまたま」と書かれています。ボアズは町の有力者で、かつ金持ちでした。しかも、ボアズはナオミの夫の土地を買い戻す権利を持っていました。ボアズはルツを一目見て、好意を持ちました。これらは偶然ではありません。主がルツをボアズの畑に導き、主がボアズにルツに好意を持つようにされたのです。ボアズはルツに「他の畑に行かないように」言いました。そして、刈る若者たちにルツの邪魔をしないようにさせ、束からわざと穂を抜き落とさせました。やがて、ボアズは畑を買戻し、ルツと結婚しました。この書の最後に「ボアズの子は、オベデ、オベデの子はエッサイ、エッサイの子はダビデである」と書かれています。つまり、異邦人のルツはダビデの先祖になったということです。これは偶然ではなく、神の摂理であり、神の御手がルツの上にあったとしか考えられません。
また、エステル記からも神の摂理を発見することができます。ペルシャのクロス王は、バビロンよって捕えられていた民を解放しました。しかし、母国に帰らないでいたユダヤ人が数多くいました。エステルは孤児であり、モルデカイが彼女を育てました。前の王妃が、無礼を働いて王様を怒らせたので追放されました。王様は次の王妃を選ぶために、国中から美しい未婚の女性を集めました。主が監督官にエステルに対して好意持つようにされ、数ある候補者からエステルが新たに王妃として選ばれました。ある時、ハマンという権力者がアハシュエロス王にユダヤ人撲滅の勅令を出させました。おじのモルデカイが「あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」(エステル4:14)と言いました。つまり、神さまがユダヤ人を救うためにエステルを王妃に立てたということです。エステルは「たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます」と答えました。彼女は決死の覚悟で王の前に出て、勅令の取り消しを願い、受け入れられました。エステルのゆえに、何十万人ものユダヤ人が救われたのです。エステル記の中にどんでん返しがあります。それは、ハマンが憎んでいたモルデカイを吊るすために、4メートルもあるような木を建てました。しかし、その前の晩、王様が眠れなかったので、「記録の書を持って来い」と命じました。そこに、モルデカイが謀反を阻止したことが書かれていまし。しかし、彼に何も栄誉を与えてないことが分かりました。結果的にハマンは自分が立てた木に吊るされ、モルデカイが栄誉を受けて、ハマンが持っていた権威を得ました。エステル記には自然法則を破るような奇蹟的な神の介入は記されていません。しかし、ユダヤ人が絶滅から奇蹟的に救い出された出来事が記されています。ペルシャで書かれたせいもあって、エステル記の中には神の名前が一切使われていません。しかし、ある神学者は「神の名がここにないとしても、神の指はある」と言いました。私たちの人生のいろんな出来事があります。あんなことがなければ良かったということがいくつもあるでしょう。でも、あとから思うと、「あれは偶然ではなくて、神の御手があったんだ。今日あるのは、あの出来事のゆえだったんだ。神がすべてのことを働かせて益としてくださったんだ」と知ることができるでしょう。全能の神さまが私たちの背後で、すべてが益になるように働いておられることを感謝しましょう。
2.神の計画
次に、神の摂理と関係があるのは、神の計画です。エペソ人への手紙をリビングバイブルから、いくつか引用します。エペソ1:5「神さまの不変の計画とは、イエス・キリストを遣わし、その死によって、私たちを神さまの家族の一員として迎えることでした」。エペソ1:11「というのは、神さまの主権的な計画の一部として、私たちは神さまのものとなるように最初から選ばれていたのであり」。エペソ2:10「この新しい生活は、神さまがずっと前から計画してくださったものであり、私たちが互いに助け合って過ごすためのものです」。エペソ3:3「外国人もまた神さまの恵みの対象にされているという、この神さまの特別の計画を、神さまが私たちに明かしてくださったのです」。エペソ3:10「どうか、キリスト・イエスによって、教会に救いの計画をもたらして下さった神さまに、栄光が永遠にありますように」。リビングバイブルのエペソ人への手紙1章から3章まで、「計画」ということばが10回も出てきます。最も重要な神の計画というのは、イエス・キリストによる救いの計画です。そして、私たち異邦人が神の民に加えられるということです。最も驚くべきことは、「私たちが救われることは神さまの計画の一部であった」ということです。エペソ1:4「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」エペソ1:11「この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。」あなたが「私はあらかじめ選ばれていた。私が救われることは神さまの計画だったんだ。」と気づくなら何と幸いでしょう。たとい、世の終わりが来ても、人生の終わりが来ても安心して暮らせます。
しかし、矛盾するようですが、私たちが神さまとイエス・キリストを信じなければなりません。神さまの御手は述べられていますが、こちらがそれを受け取るという最後の一点だけは残されているということです。ヨハネ福音書に「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです」(ヨハネ17:3)ということばがあります。神さまは永遠なるお方ですが、私たちの肉体のいのちは限りがあります。詩篇90篇には「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです」(詩篇90:10)と書かれています。しかし、「神さまは、人の心に永遠を与えられました」(伝道3:11)。神さまは永遠なるお方であり、私たちの人生は限りがあります。神さまのいのちはimmortal不滅のいのちであり、私たちのいのちはmortal死ぬべき運命にあります。文学的には人のいのちははかないので、美しいと言うかもしれません。哲学的には人間だけが死というものを客観的に見ることができる生き物だというかもしれません。私は宗教について語るつもりはありません。聖書の神さまは、死に対して答えを持っておられます。なぜなら、死ははじめからあったのではなく、後からやって来たものだからです。アダムとエバが堕落してから、肉体が死ぬようになりました。しかし、神さまは「いのちの木」も園の中央に植えておられました。でも、アダムはヘビに誘惑されて、善悪の知識の木から食べてしまいました。その結果、人間の霊は死に、肉体も死ぬようになったのです。しかし、「いのちの木」は今も存在しています。「いのちの木」とはイエス・キリストのことだったのです。イエス様は「私はいのちです。私を信じる者は永遠に生きる」と言われました。
つまり、いのちの限りのある私たちが、永遠のいのちを持っておられるイエス・キリストを知る、つまり信じると不思議なことが起ります。永遠のいのちを持っておられる神さまと接点ができて、私たちが永遠のいのちの中に加えられるということです。言いかえると、私たちがイエス・キリストを信じると神さまの計画が動き始めるということです。パソコンには解凍が必要なソフトがあります。ボタンをポチと押すと、バーと開かれます。そして、インストールを押すと、自分のパソコンの中にそれが入って機能します。私たちの救いの計画もそれと同じで、固まったまま、私たちの目の前にあるのです。そのままでは、永遠のいのちの中に入ることはできず、永遠のいのちをいただくこともできません。ポチと福音のボタンを押すのです。すると、福音が開かれて、「イエス・キリストをどうするか?」迫られます。「信じます」と告白すると、あなたの中に永遠のいのちが与えられ、神の計画が発動するのです。本当は、神の計画というのは、あなたが救われるためだけにあるのではありません。救われてからどうするのか?神さまのあなたに対する人生の計画は何なのか?これから先、どのように生きるべきなのか?そういう計画書も用意されているのです。ですから、できるだけ早く、イエス様を信じて、神の計画の全貌を知ることが重要です。
人生の最も重要なことは、主イエス・キリストを信じることです。なぜなら、そのことによって、永遠をどこで過ごすかが左右されるからです。ヨハネ20:31 「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」そして、あなたがキリストを信じることによって、神さまが天の父となり、あなたは神の息子、娘になります。ローマ8:17「もし子どもであるなら、相続人でもあります。」その人は神の国を相続し、神さまのものがあなたのものになるということです。極論を言うならば、たとえこの世で短命で、大損し、大失敗しても、永遠の御国によってすべて帳消しどころか、プラスになるということです。エペソ1章に「あなたが救われたことは、世界の基の置かれる前から定められていた」と書かれていました。これほど、すばらしい神の計画はありません。あなたがキリストを信じたことにより、あなたに対する、神さまの運命の歯車が動いたということです。つまり、キリストを信じて救いをいただいたということは、この短い人生の8割くらいの大きな決断をしたということです。なぜなら、この地上の人生は、永遠の御国に入るための準備とも言えるからです。もう、寝て暮らしても大丈夫です。あなたは天国行きの列車に乗っているのですから、列車を降りない限りは、ちゃんと天の御国まで連れて行ってもらえます。アーメン。
3.神の運命
神の摂理、神の計画、そして神の運命は三位一体ではないかと思います。神の運命という表現を日本人はあまり用いません。運命というと、意思のない冷たい「定め」みたいに考えるからでしょう。しかし、英語の信仰書にはdivine destinyという表現が度々出てきます。そのとき、日本語で訳すと「神の摂理」とか「神の計画」となってしまいます。しかし、divine destinyはそれらと微妙に違います。私はあえて「神の運命」が直訳的で良いのではないかと思います。実は、神学用語で「聖定」ということばがあり、「神の選び」を言うときにしばしば用いられます。エペソ1:4-5「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」このところに、「定められておられた」と書かれています。英語の詳訳聖書はforeordainedとか、destined ということばです。私はordainということばが大好きです。これは、「神・運命などがあらかじめ定める」という意味です。ジョエル・オスティーンが23歳のとき、時計の電池を交換するために一軒の宝石店に入りました。すると美しい女性が応対してくれました。彼女は「この際、新しい時計を買ったらどうでしょう」と勧めました。ジョエルは大金を払うことになりましたが、彼女を射止めることはできました。現在のヴィクトリアはジョエルの奥さまです。たまたま、立ち寄った宝石店に、ブロンドのヴィクトリアが待っていたのです。これこそ、神のordain、神の定めだと言うわけです。なぜなら、時計の電池を替えることの店は、テキサスに山ほどあったからです。
神さまはあなたに成し遂げてもらいたい願いがあります。エペソ1章と2章には、「選び」「みむね」「定め」そして、「神の永遠の計画」ということばがあります。これらを総合していうなら、divine destiny「神の運命」と言うことができるでしょう。日常的なことは、神さまはあなたの判断に任せておられます。「何を着るか、何を飲むか、何を食べるか」は、どうぞご自分で判断してください。神さまはひとり一人に性格や好み(嗜好)を与えておられるので、それに従って生きれば良いのです。私たちは人生において岐路に立たされることがあります。進学、就職、教会、結婚、家、業務上のこと、何かの契約、入院、手術、終活?私は個人個人に神さまの計画があると信じます。それはdivine destiny「神の運命」と言えるでしょう「何もかも私たちの決断次第」「運命は自分で切り開く」というのは、聖書的ではありません。人生のThe critical point重大なポイントは神さまが設定して下さっていると信じます。イエス様はマタイ6章でこのように言われました。マタイ6:27「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」このみことばから、神さまはある程度の寿命を与えていると信じます。しかし、健康管理もしないで、むちゃくちゃな生き方をしていると、早死にしてしまうでしょう。でも、生と死の大事なポイントは主が定めてくださると信じます。ですから、クリスチャンの場合は病気で死ぬというよりも、この地上の使命が終わったので天に召されるというのが正しいのです。では、結婚はどうなのでしょうか?ある牧師が言われました。「神さまは『この人が相応しいのではないだろうか』という人を4,5人用意しておられる。しかし、当人同士の好き嫌いを尊重しておられる」と言うことです。でも、一度、結婚の契りを交わすなら、それは神のみこころとして発動されると信じます。
ピリピ2:13口語訳「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」神さまにはあなたに成し遂げてもらいたい計画があります。だから、あなたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、実現させようとしています。強く願うことを英語でdesireといいます。ビル・ジョンソンはラテン語で、deは「〇〇の下に」で、sireは「父」という意味があると言っています。つまり、天の父があなたに「これを願え」と導いておられるということです。もちろん、自分の欲求もありますから、聖霊によってきよめられる必要もあります。でも、神さまがご自身の目的を達成するように、私たちに働いておられるということはすばらしいです。最近の車にはナビゲーターがついています。出発する前に、行き先を入力します。すると途中で「ここを曲がりなさい」と教えてくれます。でも、私たちは見逃して別の道を行ったりします。でも、ナビは新たな道を示して、目的地に行けるように指示してくれます。何度、間違っても「このボケ、もうやめちまえ!」とは言いません。回り道をしたとしても、ちゃんと目的地まで案内してくれます。同じように、父なる神さまもあなたに対して諦めません。Ⅰコリント13:8Love never gives up.「愛は諦めない」。ご自身が選んだ以上、ご自身の計画が全うされるように働きかけてくださいます。もちろん、私たちは自分のことを振り返ると、「ああ、ベストじゃなかったなー」と悔やむことが多々あります。でも、そのことを含めて、神さまは最善をなして下さるお方です。使徒パウロは自分の体験を通してこのように述べています。ローマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ジョエル・オスティーンは本の中でこのように述べています。「神の私たちの人生に対する夢は、必ず実現される。人々や失望、逆境によって阻止されることはない。神は私たちが直面するあらゆる問題に対する解決法、正しい人物、正しいブレークを私たちの将来に、既に備えておられる。私たちは私たちの神の計画を全うできるだろう。」私は土木の現場で働いていました。どこに向かって、どのような仕事をするのでしょう。ちゃんとそこには設計図があり、施行内容が示されています。資材を購入する予算もあてがわれていました。神さまがあなたを選び救ってくださったのですから、あなたの人生に対する設計図、施行内容、資材購入資金も用意しておられます。神さまは、細かいことはあなたの判断に任せています。しかし、重大なところは、神さまがちゃんと押さえていることを知りましょう。あなたの人生は偶然ではなく、永遠の計画の中にあります。いかなる事があっても、神の御手があなたを支えておられます。変わることのない、神の摂理、神の選び、そして神の運命が私たちと共にあることを感謝します。